taka's業務日誌 2002年11月

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diary
1 11月になった
 あっというまに11月だ。まったくどういうことだろう。気がつけば明後日夜はついつい請合ってしまった取引先の結婚披露宴二次会の企画と司会なのである。今日は仕事そっちのけであらかじめ買い込んでおいた景品の仕分けやら、進行表の作成やら・・・まあ自分の時の資料を見ながらってやつで慣れてはいるのだが。これで4回目くらいだし。平行して明後日の研修会の準備。こちらは5ヶ月コースの最終日である。こちらの方の準備は先日の講師ダウン事件で一から仕切りなおしなのである。朝からピンチヒッターの講師と協議。とにかくは一日で資料を作ってもらうことにして、こちらも実習用器材などの見直しに走り回る。その隙を見て二次会の企画も・・・なんてことをやりながら今日は月末締めの請求書をチェックしつつ・・・。忙しかった10月だが、11月もこの調子だと・・
2 ついつい3時
 朝から昨日の続き。どうにか形になってきた。午後からは司会のシミュレーションも一通り終わり、後は勢いだけだ(笑)。コースの修了証をカラーコピーで制作し、寝込んでいる講師の自宅へ行ってとりあえずサインだけ貰う。その後、明日の二時会場に景品などを置かせてもらった後、コースに大阪から通われている先生とホテルで落ち合い、焼き鳥屋さんへ。まあその間いろいろあったわけですが(w、最後はいつもの店に行ってカウンターで1人でグビグビやっていると、臨時講師の先生が電話してきて一緒に飲むことに。ひとしきりクサって彼は帰り、入れ違いに大阪の先生も帰ってきて、あとはなんだかベースとかギターとか弾くことになってハードロック大会になって気がつけば3時。いかん、明日は本番なのに。こんなとこで盛り上ってどーする。
3 セミナー、打ち上げ、披露宴二次会
支台歯形成実習  ようやく眠ったきっちり3時間後、朝一で臨時講師を自宅に迎えに行き、研修会場へ。今回は模型実習ということで休む暇は無い。というか妙に興奮して眠くもならない。講義、実習、昼食と慌しく時間は過ぎる。大阪のセミナーの講師たちも続々見学に来る。近くのホテルでそろそろ結婚披露宴が始まるのだ。そのゲストたちがこのセミナーにも遊びに来ているというわけ。なにやら異様なハイテンションのまま、無事、コース終了である。昨年の忘年会の時にこの話を持ちかけられ、約1年。いろいろあったけど僕の中では一応の成功である。来年はもっと頑張ろう。
KOC打ち上げ  終了後、居酒屋に移動して打ち上げ。さすがにふらついてきたけど、ここで打ちあがるわけにはいかんのだ。次がある、二次会だ。何か一言喋れ、と言われて次のように言った。「世間の歯医者さんのイメージは決してよくありません。ボンボンが外車を乗り回し、お酒を飲んで暴れた挙句に、武器を片手に脅迫した挙句、高額な治療をする割にはちっとも治らない、というものです。ところがここにいる皆さんは何ですか!せっかくセミナーが終わった連休の中日だというのに、酒を飲みながらもあちらこちらでまだ臨床談義をしているではありませんか。何ていうことだ。ここに世間から見た歯医者さんとはぜんぜん違う人たちがいるのを見て僕はとても自慢に思います」。
結婚披露宴二次会  さて、万歳三唱もそこそこに小雨降る中を走って二次会場へ。あらかじめ徒歩30歩の会場をセッティングしておいたのだ。駆け込んだ会場の片隅で礼服に着替えて、受付開始。社員一人に協力してもらって受付・集金をしてもらう。続々人が集ってくる。ダメだ。ちっとも興奮しないぞ。こんなのシラフではようやらん。酒だ、酒もってこーい、と部下に連発し、ビール、ウイスキーを流し込むが裏腹に醒めていくばかりだ。なんとかボルテージが上がらんものか、とBGMのボリュームをちょっと大きめにして、赤ワインを2杯喉に流し込むとようやく体が火照ってきた。ふふふ、これぞ元ミュージシャン魂の発現よ、あはは、いひひ、ひひ、ひひひ、いかん今度は酔っ払ってきたぞ、あわわ新郎新婦が入ってきたではないか、景品の準備がまだ、あ、「みなさま今夜はお足元の悪い中〜」、おおやるじゃん、オレ、ちゃんと司会してるよ、なんだかみんなこっち向いているぞ、おお、キモチイイ、「いえー、Can you hear me?盛り上ってるカーイ?Say Yeha!!、もういっちょーYeah!」・・・だめだ、やっちゃってるよ、すっかり京都の拾得ライブになってきてるよ、相手は歯医者さんばっかりだってのに・・・まいっか。てなわけで、秘儀ストッキングゲーム、Q&Aゲームなどのネタを無事にこなして二次会は恐らく大成功・・でありました。たぶん。
 一通り清算と片付けが終わり、部下を帰し、さて誰かと合流しようかと数人に電話してみるものの、みなさんお忙しいようで。なんとなく腹が減ったのでうどん屋さんで1人で腹ごなしした後、なんか興奮を覚まさねば、と二日連続でTwo-Fiveに行き、満員の客たちとこれまた盛り上がり、またも常連自称ミュージシャン諸君と演歌大会やらDeepPurple大会で4時でありました・・・死ぬな、こんな生活。
4 振替休日
 死ぬほど寝よう、と思う割には8時に目が覚めてしまった。テレビをつけてみるとワイドショー。あそうか今日は月曜日なのか。なんか昨日の喧騒が時々思い出されるが・・・ああ、頭が痛い。やっぱ飲みすぎた。家族は週末は八代の実家に避難している。騒ぎすぎた翌日の一人の朝・・・なんだか学生の時のライブの翌日みたいだな。だったらその路線で行くか、と車でラーメン屋さんへ。開店と同時にラーメンと餃子を食べて、そのまま漫画本を積んで居座る。ふと気がつくと回りは座れないお客さんたちが順番待ちしている。あらもう昼時なのね。そのままクルマで会社へ。妻が1人で事務所で仕事していた。昨日の話などをしながら二次会の清算、セミナーの後片付け、デジカメ写真の整理、webへのアップなど忘れないうちにやっておくべき仕事をダラダラとする。
 暗くなってから、家に帰ろう、ということになり、実家に帰ってきていた妹と甥っ子に別れを告げ、3人で熊本へ。途中、ハンバーグ屋さんのファミレスに入る。店は悪くないのだが、従業員がみな不潔っぽくて嫌だった。ろくに社員教育している暇も無いんだろうな。もういかない。
5 企画
 朝から昨日の続きで、二次会の清算を終わり、続いてコースの経費精算もはじめる。昼過ぎから、勢いでこのサイトの更新。勢い余ってセールの企画を2本ほどやり、そのままWEBページもこしらえる。歯科医院さんから広告用の原稿を依頼され、夜中まで掛かって制作。なんだか一日パソコンの前に座っていた。それにしてもよくフリーズするなあこいつ。
6 スケジュールミス
 11時に歯科医院から電話。今どこにいますか?と。会社にいますが、と答えたら絶句された。どうやら11時にアポイントしていたらしい。すっかり13時だとばかり勘違いしていた。高速で熊本市へ。何とか許していただき、打ち合わせへ。先生と昼食を一緒にとり、遅刻代と称してラーメン代を持たせてもらう。その後、またも八代まで走って二社ほど商談。ゼロックスのSEと2時間ほど話し込む。なーるほど、とヒントがたくさん。人と会うというのは素晴らしい。 
7 酔っ払って・・・
 午前中は社内でコースの清算やら、週末の研修会の準備に追われる。特に週末の企画は100名を超えるものなので、とにかく時間を要する。夕方問屋さんと商談した後、今度は熊本市内の和食店へ。地元組合の役員会である。決めるべきことを決めた後は雑談モード、特にいくつか大きな話題が合ったので飲んだり飲まされたりで、あっというまに一人当り焼酎をボトル1本ほど空けるほど飲み続ける。気がついたらフラフラ。年長者のタクシーに押し込められて熊本市内をグルグル回りながら自宅へ。吐きそうなのをこらえながら自宅について、玄関を開けながら思い出した。あ、しまった、今日は車で行ったんだった、代行じゃなくてタクシーで帰ったらダメじゃん。この時点でもまだ22時くらい、家族は起きている。フロに入り、あとは記憶なし。
8 駐車代2,900円
 朝目が覚めたらなんとも気分がよろしい。元気よく「おはよー」と家族に挨拶するも返事なし。「昨日の事覚えてないわけ」と二人に問い詰められる一家の主、天気の良い早朝。恐る恐る聞いてみると、異常に上機嫌な昨夜の僕はハイになったまま息子や妻に絡みまくり、ギターを弾きまくり、あちこちぶつかった挙句、ころっと寝たらしい。そういえば目の上にタンコブが。いやー情けない。ただの酔っ払いだわなー。反省。
 バスに乗って町中へ。駐車場に止めっぱなしの車を受け取る。駐車場代2,900円。まあ代行代を考えたら安かったのかな?でももっと安いところにとめればよかった。そのままついでに近くの歯科医院へ器械を納品へ。国道を下って八代に入り、同級生の店で散髪。途中で電話が掛かってきて、事務員が熱を出してしんどいので早く帰って来いという。あらまあ、と会社に戻って店番。一通り発注作業などが終わったあとは、週末の講演会の準備に追われる。妻子もやってきて一緒に泊り込みで仕事。妻も決算処理だ。3時ごろどうにかメドがついて就寝。
9 懇親会・・そのままサウナ泊
 9時に会社を出発、空港に10時に到着し、歯科医師会の役員の先生と一緒に東京からの講師を出迎え。横浜以来2週間ぶりの再会である。そのまま市内の歯科医院へ行き、近所のレストランで昼食。その後歯科医師会館まで移動して本日の歯科医師会での講演へ。これは主催ではないのでゆっくり講演を聞くことが出来た。素晴らしい。この先生とはかれこれ10年近いお付き合いだが、この数年、本当にエキサイティングだ。彼自身は以前からちっとも変っていないのだろけど、環境がかなり変りつつある。面白い。
歯科医師会懇親会  その後、ホテルにチェックインしてもらった後、近所の和食で懇親会。ここは先週も来た部屋だ。2時間ほど食事をした後、二次会へ。その後講師をホテルへ送り、その報告を携帯で報告したところそのまま次の店へ拉致され、気がついたら3時を回っていた・・・明日は8時から講師と朝食の予定である。なんだか誰もいない家に戻ってまたここに戻るのも馬鹿らしくなり、歩いて歯科医師会館の近くのサウナへ。冷えたカラダをサウナで温め、仮眠室で横になったときはもう4時であった。

10 講演会・・・そして今日もアルコール
 7時に目を覚まし、もう一度サウナに入る。ようやくアルコールも抜けてきて気合も復活してきた。歩いてホテルまで行き、講師らと朝食。その後会場へ。会場のセッティングも進んでいるようだ。展示の準備やメーカーさんらの調整などをいつもどおりにやって、10時に講演開始。昨日だいたいのエッセンスを聞いていたのでさすがに2度目だとかなり頭に入ってくる。最近の審美、インプラントというテーマとはかなり違う感じなので新鮮なのか寝ている人が1人もいない講演会であった。
西川義昌先生講演会  昼食後も問題なく講演は進み、あっというまに終了へ。講師らと空港へ向かい、食事しながら談笑。講師を見送った後、またも町中へ逆戻り。今日展示したメーカーさんの営業と一杯、約束していたのだ。昨日もほとんど徹夜に近かったので体力は限界だったが、約束なので仕方がない。オレって何て律儀(アルコールに対して)。クルマを止めてフラフラしながらホテルのロビーで落ち合い、最近よく行く居酒屋へ。歩くのも苦痛なくらい疲れていたくせに、生ビール2杯で元気復活だもんなあ、我ながら感心する。勢い余って二人でTwo-Fiveへ移動、なんだかズルズル飲んでいたんだけど、後半記憶なし。ピアノとかギターとか鳴らして顰蹙買っていた記憶がところどころ・・・しかしまあ学習効果の無いこと。
11 また飲みにいく・・・
 月曜の朝はしんどい。昨夜は1時くらいには帰ってきたはずなのだが・・・なんとなく記憶があいまい。出社すると昨日の決算など。昨日の講演会が終わって少し気が抜けたかな、という感じだな。夕方、仕入先の営業が来社し、いくつか打合せしたあと、熊本市内へクルマで移動。もう1人と落ち合って寿司屋さんで一緒に食事、けっこう熱い会話。さらに盛り上るか、とも考えたが、さすがに体がついていかず、23時ごろ代行運転で帰路。もうアルコールが入らん。
12 理事会
 出社した後、メーカー2社と商談。夜のスタディグループ理事会に向けて日曜日の講演会の決算を完成。他になんやかんやとたまったメールの返事を書き連ね、気がついたらもう18時。高速に乗って熊本へ戻り、理事会に出席。決算を報告し、議事を作成して、予定より少し早く終わって久しぶりに早めに自宅へ戻る。息子と話すと言葉の端々に「酔っ払ってたくせに」とか言いやがる。くそ。
13 新製品のメール営業&新規ソフト企画書
 新規訪問されたメーカーと商談したり。午後から新会社の新商品として売り出すCDの企画宣伝をメール。その後企画第二弾であるソフトの企画書、仕様書を作る。ふと気がついたらもう朝3時であった。こういう仕事は時間がたつのがやたらと早い。会社に泊まり込み。
14 結婚記念日10周年
 思えば10年前の今日、晴れ渡った阿蘇の山中で結婚式を企画実行したのであった。いや、そうでなくて、自分が結婚したのであった。でも当時は分厚い企画書と進行表を元に金屏風の表で必死で時計と睨めっこし、指示していたような記憶が・・・その勢いで二次会のバンド大会へ突入、自ら企画した各種アトラクションへの参加者の評価を気にしつつギターを演奏したりBGMのボリュームを調整していたりしていたのであった。よきおもひで。
 午後は覚醒剤防止キャンペーンとかで県立劇場へ。なかなk素晴らしい人の入りで、座るところも無いので劇場内のレストランでパソコンを広げてしばらく仕事。先週の講演会のWEBレポートを作ったり。小雨の中、予定時間になったので会場を離れ、営業へ。その後自宅へ戻り、久しぶりに18時前に帰る。なんせ結婚記念日なのである。
 家族3人で小さな小さなパーティ。さて結婚20周年はどうなるのかな。息子は大学へ行こうか、なんて年齢だろう。僕らは48歳。もう良い歳だよな。でもきっとたいして変っていないことだろう。いま同様に仲良くありたいものだ。みな元気で。今日まで僕らが心身ともに健康で暮らせたことに、愛する妻に心より感謝したい。
15 会議資料
 朝からメーカーさんの営業と契約に関する商談。この業界は歴史的に川上がとても強い。つまりメーカーさんの御意見御意向をとても大事にしないとやっていけない、というところがある。日頃は僕らが購買側、すなわちお客さんであるから、いろんな無理難題を押し付けたりすることも無くはないのだが、契約となると、なんとなく分が悪い。そんなわけで、契約に関してはちょっとした駆け引きが必要となるわけで。
 昼からは明日の社内会議の資料を作成。この会議さえ終えれば楽しいホリデイが待っている。
16 さあ、大阪へ向けて出発だ!
 朝から会社で会議。いつものように一通り終わる。食事後、幾つか仕事を終えて、自宅へ戻る。大急ぎで荷物を車に積み込み、いざ出発なのである。そう、今日から火曜日の朝まで、家族で大阪ツアーなのである。メインはもちろんSir Paul MacCartneyのDrving Japanである。そう、かのポールマッカートニーの日本公演にいくのである。大学時代の友人が入手したチケット2枚を握り締め、家族3人で自宅を出発。今回は経費削減を念頭において、北九州〜大阪までフェリーで往復。クルマは北九州に置いて、体だけで行くのだが、お陰でかなり安く組むことができた。なんせ、このフェリー、USJのパス込みで大人1人往復14,000円という安さ。トイレに置いているJAFの会員向け雑誌で見つけた安ツアーだ。やはりトイレはゆっくり篭るに限る。
港に待つフェリー  さて、自宅を出て、近くのインターへ。おっと逆方向に走ってしまっている。ついつい八代に向かっているではないか。日頃の習慣は恐ろしい。いつもだったらここで確実に夫婦喧嘩まっしぐら、なのであるが、どうしたことか今回はみな機嫌がよく、なんとなく許してもらえそうな雰囲気で、松橋ICでUターン。一路、新門司を目指すのである。ひた走ること1時間半、新門司ICを下りて、港を目指す。20分くらい走ると、新門司港が見えてきた。港らしく、閑散とした雰囲気の中に建っている真新しい事務所で手続き。クルマは適当に駐車場に止めて下さい、という。息子は大きなフェリーに感動したのか、スケッチブックを取り出し、地面に座り込んで1人で写生大会を始めている。トラックドライバーたちが珍しそうに眺めていく。息子はこの時点で寒さすら忘れて没頭。こういう性質っていいことなのかどうなのか。
船内の様子。二等客船のベッド 煙突  さて、時間が来ていよいよフェリーに乗り込む。今年の9月に就航したばかりという最新鋭のこの船、どこもかしこもピカピカで気持ちがよろしい。ベッドルームは半個室タイプで、JRの寝台感覚かと思っていたのを良い意味で裏切ってくれる。さっそくカメラを手に持ち、3人で探検に出かける。レストランに入り、バイキング形式で夕食。ビールを飲みながら居酒屋メニュー。意外と高いが、さすがに海産物は旨そうに見えてしまい、ついつい選んでしまう。そうこうするうち船は港をゆっくりと出発。妻は焼酎のお湯割を追加し、なんとなく酒盛りモードになりゆく。
17 Back in Japan,Paul McCartney!
瀬戸内海の朝日  朝早く目が覚め、気がつくと半個室で寝ていることを思い出し、ああ、フェリーの中だ、と徐々に思い出す。休日の特権である二度寝に挑戦しようとも思ったが、なんだか興奮しているのか頭が冴えてくる。しばらく船の中をカメラを持って歩いてみたり。すごく良い天気。 航路図 妻子も起き出し、3人で探検。朝食バイキングで朝ご飯を食べてしばらくしたらもう到着だ。大阪南港でより小さな船に乗り換えてUSJに向かう。なんでも乗務員が全て女性、というよくわかんない売り文句の船。なんだかずっと大音量でGLAYが掛かっててちょっとうんざりしたが。

 予約していたUSJオフィシャルの近鉄ホテルにチェックイン。きれいなホテルだ。荷物をロッカーに預け、再びさっきの船に乗って今度は天保山海遊館へ。夕方まで時間があるので、水族館で息子の社会見学、という計画だ。バブルの頃完成し、デートコースとしてかなり有名だったと思うが、実際来て見るとかなり本格的で面白い。息子は探検ノートかなんかを買ってもらい、一生懸命クイズに挑戦している。とにかく回りは人人人。天保山海遊館の水槽親子連れが手に手にビデオかついでぞろぞろ。サメやマンタたちに水槽の中から逆に観察されている感じすらする。
なにわ食いしんぼう横丁
 昼食は、「ナニワ食いしん坊横丁」で丼モノやたこ焼き。大阪の昭和40年を再現したというテーマパークっぽいところで、実は以前新聞で読んで以来、いちど来てみたかったのだ。37年前の街並みを再現することで人気が出るってことは、数十年後、2002年の街並みを再現、なんてテーマパークができたりもするんだろうか?「あの頃は携帯電話ってのがあって、みんな親指でメール打ってたんだってさ、おっかしい。今だったら考えられないよね、めんどくさ」とかいウンだろうか(笑
 近くのバス停から市バスに乗って道頓堀へ向かう。息子がどうしても食いだおれの人形を見たいと言うのだ。漫画かなんかで読んだらしい。バスの中では親子3人睡眠不足を解消。大阪ドームを横目に、40分くらい掛けて道頓堀に到着。ぼくは仕事でしょっちゅう来ているが、妻は本当に久しぶりらしい。息子はビデオカメラを手に大ハシャギ、橋の袂に座り込んでいる若者を撮って喜んでいたり。しばらくアーケード街を歩いたり、ゲーセンに立ち寄ったり、ソフトクリームを買い食いしたりと、若者的行動に身をやつす。4時前になり、タクシーに乗って大阪ドームへ。さあ、いよいよコンサートだ。

宇宙船のような大阪ドーム ポスター  タクシーを降りるといきなりダフ屋の洗礼。久しぶりのこの感じ。開演まで2時間くらいあるのに、とにかくはたくさんの人が集っている。客層もいろいろ。上は60台から下は赤ん坊まで。僕らくらいの年代が一番多いかな。ドームの中に入ると、あちこちで行列ができている。グッズ、パンフレット、お弁当・・・こりゃビッグビジネスだわなぁ。
 今回は息子のチケットはない。元はと言えば、大学時代の友人がチケットを2枚入手し、仕事で行けなくなった彼からそれを譲ってもらい、妻との結婚10周年記念ということでここにきているのだ。息子のチケットはそういうことで、ない。ということで、彼は演奏時間中、ドームの託児施設に預けることに。本来は未就学児に限るらしいのだが、なんとか無理を言って入れて貰った。そういう人は多いらしく、既に予約で満杯とか。やっぱ40年後のビートルズはこうでなくては。託児施設では食事が出ないため、妻が弁当を買いに行くことに。ここでも行列である。残された僕らは所在なしにインフォメーションカウンターの近くでボーっと座り込んだり、人並みを眺めたり。今思えばそれが幸運を呼ぶ前準備だったのである。
受付のあたり
 なんとなく派手なオネエチャンの声が耳に入ってきた。それに呼応して40台のオバチャンがえらく喜んでいる。なんだろうなあ、と聞き耳を立てていると・・・どうやら主催者側のオネエチャンが、ファンクラブか何かのオバチャンに喋っている様子である。ほほう、と思ってさらにアヴァンティなみに聞き耳を立ててみると・・・どうやらポールを盛り上げるために、ステージ1列目にとにかく大騒ぎをする客を用意する作業をやっているらしい。で、ネットかなんかで事前に連絡をつけておいたこのオバチャンとこのカウンターの前で落ち合い、オバチャンのチケットを招待席の1列目と無料交換しようとしているところに出くわした、ということらしい。ところが、オバチャンのお連れさんであるオジサンがいまいち乗り気でないようだ。なんか完全に腰が引けているぞ。こ、これは、と直感した僕はサンドイッチを買いに並んでいた妻を呼び戻しに走る。ようやく買い物を終えた妻を引っ張ってきて事情をさっと説明する。しばらく腕を組んで仁王立ちで話を聞いていた妻は突如片手を高々と上げ、「やります。のります。やらせてください」と高らかに選手宣誓を開始。当然僕も「任せて下さい」と援護射撃開始。オネエチャンは「本当に大丈夫ですか、ポールのTシャツを必ず着て下さいよ」と確認。「もちろんです、これから買いに行きます」と答えると「本当ですね、ちゃんと見てますからね」と返事・・・うんうん、良い感じだぞ。話はトントン拍子に進み、僕らのS席12列目を見事アリーナ1列目57番招待席(写真参照)と交換してもらえた!
クリックすると拡大します  それから妻は息子を預けに行き、僕は約束のTシャツ購入の長い列に並ぶ。ついさっきまでほとんど並んでいなかったのに、なんだかものすごい行列になっている。開始まで後45分くらいなのに、開演まで間に合うのか不安になってきた。パンフレットを読みながらひたすら並ぶ。本当に1列目に入れるのだろうか。もしかして、Tシャツ屋が売上向上のために仕組んだ巧妙な詐欺話だったりして(笑)なんて。開演15分前にようやくTシャツを2枚購入。1枚3,500円也。人目をはばからずそのへんで裸になって着替えて準備万端。荷物類も息子と一緒に託児所に預け、気分は完全に学生時代のバンド野郎に戻ってきたぞ。軽く屈伸運動なんかしてみたりして、なんだか異様にハイになってきた結婚10周年夫婦である。6番ゲートからほとんどボディチェックもなしに会場へ。チケットも詐欺なんかではなく、無事に効力発揮である。

 会場にはお香の香りが充満している。アリーナを歩いていくと、あったあった、本当に一列目だ。ステージ上手のはじっこあたりだが、おそらくポールとの距離は15mくらいってところか。こんなラッキーなことがあるものなのだ・・・周りを見渡すと隣りが学生風アンちゃん2人、その横がファンクラブ然としたオバチャン軍団、後ろは頭頂部が寂しくなりつつあるオヤジ連中といった具合。1列目なので当然前の席はなくて、いきなりステージ。警備員とロープしかないのだ。これで盛り上らなければ憤死に値するってんでほぼノンアルコールにも関わらずハイテンションな僕ら。
 BGMが始まり、プレショーと呼ばれるパフォーマンスがスタートした。世界各地の民族衣装を身にまとった役者さんたちが20分くらい、会場で、ステージで、ショーを繰り広げる。なんだか1967年くらいのビートルズの世界。ポール、今回は日本にグラスではなく、万華鏡を持ち込んだのかいって感じで。一列目の僕らは彼らアクターにも目一杯の声援を送る。
 そろそろショーに退屈しかけたその時、ディストーションの聞いたギターのコードとともに、正面のディスプレイにヘフナーベースを掲げたポールの巨大な影絵が映された。会場の興奮は最高潮、そして1曲目、Hello Goodbyのコーラス"You say yes, I say no..."がスタートした瞬間、僕は20年ぶりのビートルズマニアとしての劇的変身を瞬時にして完了した・・・
 JET,All my lovingと矢継ぎ早に演奏され、一列目の僕らは飛んだり撥ねたりの大騒ぎ。まだこんなに元気が残っていたのか、と自分でも不思議なくらい、演奏に合わせて声を枯らせての大声援。なんせ、曲はすべて隅々のフレーズまで僕の体が記憶しいているのだから。その後、Paulの短いMC。初めて聞く彼の生の声だ。
 思えば僕がBeatlesをはじめて意識して聞いたのは小学5年の頃だった。友人宅のステレオで聞いた青盤、赤盤に衝撃を受け、毎週土曜の深夜にやっていた「Beatlesよ永遠に」というラジオ番組をエアチェックして彼らの音楽をテープに集めていった。当時はカセットテープレコーダーを持ち歩いて友人宅のステレオでビートルズを鳴らしてもらい、「うるさい静かにしろ」とかいいつつ、曲目をカセットの表紙にカタカナで書いていたりした。LPなんて買うお小遣いは当時の僕にはなく、比較的リッチな友人宅に自転車で3kmも通ったりしていた。当然、PaulとJohnの区別も分らない。彼らが解散して5年後くらいのことである。
 中学校に入ってすぐに、親にねだって自分にとって初めてのLPを買うことができた。八代駅前の第一レコードでさんざ迷った挙句、知っている曲が一番多かった「Oldies」を選んだ。  学校から帰ると毎日それを聞いていた。いままで直径10cmのスピーカーから流れていた彼らの音楽が左右別々のスピーカーから流れてきて、とても新鮮に思えた。なんせドラムの音だけ右から流れてきたりするという非常に分りやすいステレオだったのだ。
 中学1年の夏休み、八代本町アーケード夜市とよばれる土曜の夜のお祭気分に乗じて、母に貰った2,500円を握り締め、レコード屋さんで発売予定だった「Hollywood Bowl Live」を予約した。 既に彼らが解散して7年も経っているのに、僕は新譜発売の前予約というリアルタイムな感動をちょっとだけ感じることができた。しばらくしてそのレコードが手元に届き、緊張して針を落とす。フェードインする13年前の歓声、Twist and Shoutの盛り上るコーラス・・・当時学校で流行っていたベイシティローラーズが子供の茶番に感じた。詳しいライナーノーツを隅から隅まで毎日のように読んで、英語の歌詞にカタカナのフリがなを聞こえるままに書きつけて暗記し、家から学校まで通う30分あまりの通学路では、頭の中でLP一枚が完全に再現できるほどになっていた。
 その後、徐々に父の会社の景気も良くなっていったのか、お小遣いも毎月1,000円に値上げされ、数ヶ月に一枚のペースで彼らのLPを買っていき、「Beatles事典」 という当時の僕のバイブルも入手し、いっぱしのカブトムシ博士、になっていく。当時はBealtesの正式な後継者っぽかったWingsも購入リストの中に徐々に入りつつあった。また、中学3年のころにはギターも手にし、Fから始まるYesterdayを必死になって憶えたり・・・
 ところが高校1年の冬、唐突なJohnの死。その夜の渋谷陽一の追悼番組で、解散後のJohnの曲に一気に触れた僕は、BeatlesファンというよりもJohn信奉者になっていき、なんとなく神格化された彼のイメージに取り憑かれたようになる。その後のPaulの逮捕劇などでなんとなく「やっぱPaulは単なる芸人だよな」みたいな斜めにモノを見る若者に育っていったという次第。
 その後、僕自身もバンド活動を始めて、いろんな音楽にも触れていき、大学に進んだ頃はすっかりBeatlesは過去の趣味としてどこかに封印してしまったかのようだった。それはつい今日まで続いていた。
 たった1曲。それがたったの1曲で僕は自分がPaulのファンだったことをいまさらながら自覚し、20年ぶりのファン復活を遂げている。HolywoodBowlライブに針を落とした時に想像した当時から13年前の興奮を25年後の今まさに体験しているのだ。恐らくは会場に詰め掛けた年配のファンのほとんどがそんな不思議な感動を覚えていたのだろう。気がつけば後ろのオヤジもボロボロ涙を流して声を枯らしていたりする。それも異様だが(笑
 ステージは興奮とリラックスを繰り返しながら夢を見るように進行していく。バンドが引っ込んでアコースティックギターを抱えた左利きのPaulがBlackbirdを歌う。なんて巧い演奏なんだろう。なんて素晴らしい歌声なんだろう。Here Today。誰だ?彼をただの芸人だとさげすんだのは? 客席に誰かが掲げたサインボードを見たPaulが言う、John is alive,John is here.誰だ?彼をただの偽善者だと突き放したのは。
 5万人入ったというドームはPaul曰く、大きな家族のような一体感を呈し始めている。誰もがみんな彼の生きてきた60年の生涯に、音楽活動に奇跡を感じ、ここにいることの不思議に奮えながらそれでもリラックスして楽しめている。かつてこんなコンサートが在っただろうか?そしてそんな場の一列目にいる僕らの幸運さにあらためて驚くばかり。
 最近のロックコンサートは音量と音圧で圧倒する傾向があるが、今回は演奏中でも妻と会話することができるくらいの程良いバランス。何度かPaulとも目が合い、大声で声を掛けるとこっちを向いて笑ってくれたりする。目の前のギタリスト、ラスティもソロになるとこっちにきて僕らの大声援を楽しんでいるようだ。こうなるとこれだけのビッグコンサートなのに、京都のライブハウス拾得と同じように観客と演奏家の掛け合いのようになってきて、ますます僕らは盛り上る。
 あっというまに幕を閉じるステージ。でも僕らは知っている。まだまだ演奏されるはずの名曲がてぐすね引いて待っている・・・拍手が彼らをステージに誘い出し、やっぱりLet it be,Hey Judeの大コーラスで迎える。2度目のアンコールもしっかり盛り上げてくれて、最後はSgt.Pepper's Lonely Heart's Club Band〜The Endの奇跡的な演奏で本当に幕を閉じる。通学路の頭の中でだけ演奏されていた曲がまったく同じ歌声で目の前で演奏されてしまった・・・僕らの声援は鳴り止まず会場を巻き込む紙ふぶきと一体化してドームの中に漂い続ける感じだ。
 まるでクラシックのコンサートが終わったあとのように整然と観客は会場を出て行く。やっかいな若者たちは30年の時を経て分別あるオトナを演じ続けてきた。今日は3時間だけハメを外したのさ、でもこうやってちゃんと大人に戻れるところが、以前と違うところなのさ、と言わんばかりに。ところがみなそう振舞いながらも、実はそうでもないことを知っている。心の底に灯がともっている。今朝までは忘れていた何かを確実に取り戻してしまったのだ。それがどうなるのかは誰も知らない。でも確実に何かが明るくなっている・・・そんな小さな変化、With a little luck・・・
 会場を急いで出ると、妻子と別れて心斎橋へ。業界の友人と打合せをするためだ。今回はプライベイトといいながらもしっかり仕事ししまう僕。でも明らかに何かが違う気がするのは久しぶりに騒いだ後にビールを流し込んだせいだろうか。日付が変わる頃、タクシーでホテルへ戻り、きれいな部屋で妻と今日の興奮を語りながらさらにビールを流し込む。一緒に来れて本当に良かった。息子も連れて行ければよかったんだけどな。 
 【SET LIST】 Hello Goodbye/Jet/All My Loving/Getting Better/Coming Up/Let Me Roll It/Lonely Road/Driving Rain/Your Loving Flame/Blackbird/Every Night/We Can Work It Out/You Never Give Me Your Money/Carry That Weight/The Fool On the Hill/Here Today/Something/Eleanor Rigby/Here There and Everywhere/Calico Skies/Michelle/Band On The Run/Back In The USSR/Maybe I'm Amazed/Let 'Em In/My Love/She's leaving Home/Can't Buy Me Love/Live and Let Die/Let It Be/Hey Jude/Long And Winding Road/Lady Madonna/I Saw Her Standing There/Yesterday/Sgt. Peppers Reprise/The End
18 Universal Studio Japan
ホテルの窓から見たUSJ USJのシンボル  朝食をとったあと、チェックアウトして歩いてUSJへ向かう。さすがに海のそばだけあって寒い。風が強いのだ。ゲートには結構な人が並んでいて、最近のUSJの不人気ぶりを聞いていた僕らにはちょっと意外。息子は「今日こそは僕の日」とばかりそこら中を無駄に走り回っている。ようやくゲートをくぐり、最近ビデオで見たETに並ぶ。これまた30分並び、それにしては、ふ〜ん、というアトラクションで軽く体ごなし。実は僕はUSJは昨年仕入先の行事で一度来ているのだ。おまけにロスのUSには95,97年の2度も行ってたりするので、今回は4回目なのだ。というわけで僕が行先案内人役。
ウォーターワールド  T2,スヌーピー、BluesBrohters、Water Worldなんかをそれぞれ長く並びながら周り、家族三人満足して帰路につく。昨日と同じ船で南港へ渡り、名門太洋フェリーに乗船する。
 この船は行きのフェリーよりも建造が古く、これぞフェリーって感じでなんとなくほっとしてみたり。息子と一番風呂に入り、レストランへ。またも焼酎お湯割を飲み始め、妻とBeatles談義に花を咲かす。息子はすっかり退屈して先にベッドに戻るが、僕らはオーダーストップまで飲み続け、大いに盛り上る。といってもまだ午後7時だ。なんせこの船は明日の5時には北九州に到着するのだ。酔っ払ってでも早く寝ないと睡眠不足は目に見えている。明日は下船後ひたすらクルマを飛ばして息子の小学校に間に合わないといけないのだから。 
19 日常生活復帰
 船内放送で目が覚める。5時前だ。ああ良く寝た。荷物をまとめて下船し、3日間、港で僕らの帰りを待ちわびたクルマのキーを回す。フロントガラスは凍り付いている。あたりはまだ真っ暗だ。トラックドライバーたちとともにインターを目指し、そこからは眠気覚ましにラジオを聞きながらひたすら南下。徐々に東の空が明るくなっていく。予定通り8時には自宅に戻り、息子を着替えさせて学校へ送り出す。僕はしばらく休んだ後、近所の歯科医院で顕微鏡のデモに出かけ、その後もう一軒修理に回って会社に向かう。なんだか随分仕事から遠ざかっていた気がするが、実質的に土曜日までここにいたのだから、休んだのは月曜だけなのだ。社員たちが帰ってきて、大阪の話をしたり。そのうち皆帰った後、今日は泊り込みでたまった仕事を片付ける。特にメールの返事が大変。ふと気付くとPCでPaulの曲を掛けていてもしばらくボーっとしていたりして、いまだ夢から覚めやらぬ状態が続いている。
20 締め日
 現実に戻らねば、と思い出させる締め日である。また来週のスタディグループ例会の資料を作成し、発送しなければならない。一日社内で仕事を片付けることに費やすが、それでもお終わりそうになく、もう一晩泊り込むことにする。なんか喉の調子がおかしい。
21 風邪をひいたようだ
 だめだ、風邪引いてる。そりゃそうだ、フェリーに乗って大阪に往復し、汗だくで3時間声を嗄らし、その後大阪で飲んだ後、翌日寒風吹きすさぶUSJで過ごした後、朝5時から運転したと思えば2番連続で深夜まで仕事したのである。ふつう体調崩す。
 請求書を発行し、チェックしながらもなんとなく頭はボーっとしている。熱のせいかな、とも思うけど、もしかしたらコンサートの後遺症かもしれない。
22 Driving Rain
 朝から完璧にダメだってことを思い知らされる。起き上がれないくらいだるい。でも昼は開業の商談を入れていたのでフラフラしながら運転して、喫茶店で商談。その後、PCネットワークのセミナーに参加するも、やはりボーっとしたまま。でもそこでちょっとヒントを得て、電器店に入り、いくつか情報収集。その後、Tower Recordに入ってPaulの新作CDとライブCDを購入。家に戻り、妻と一緒にCDをかけながらネットでコンサートの評価なんかを眺めて、まだまだ余韻に浸る僕ら。でもどの掲示板を見ても、僕らほどラッキーなカップルはいないってことに気がつき、さらに舞い上がる僕ら。
23 夫婦喧嘩
 案の定朝からダウンしっぱなし。ひたすら寝て過ごす。起きてきたらコタツに入り、ライブCDを掛けながらギターを合わせてみたりする。そういえばBeatlesの曲ってあまりギターで弾いたことが無い。なんとなく自分らで演奏したりするカテゴリーとは違う気がしていたのか。でもこうやってコードを取ってみると、そんなに難しいものでもなかったことに気がつく。逆にいえば、どうしてこんなコード進行からあんな曲が出来上がるのだろう?
 夜は福岡の先生が熊本市内のホテルに忘年会に来ているというのでパソコン抱えて出かけていく。なんでも明日のケースプレの制作手伝いをしてくれという。まあ友人価格で請負ったわけだが、敵は完全に酩酊状態、こちらは熱とカブトムシにイかれている状態なのである。なんだかC級ギャグのような応酬でなんとかパワーポイントを制作、家に戻ったのは深夜。
 どんなに仲の良い夫婦にも喧嘩は脈絡無くやってくるものらしい。風邪をおして冷え込む外から戻ってきた僕が一目散にコタツに飛び込むや否や、妻が「ウガイ手洗い!」と叫んだことに対して僕が激怒、妻は逆切れ、昨日までの仲の良さはどこへやら〜、で僕は眠れないくらい頭に来ていて、ベッドに入るのも癪に障り、コタツに潜りながら昨日買ったDriving Rainを2回連続で聞く。なんてことだ。なんて素晴らしい作品なんだ。4時まで3度目を聞いていたら明るくなってきた。このまま寝たら間違いなく来週いっぱいダウンだな、と観念して寝室に引っ込む37歳。
24 院内勉強会
 8時には起きて、9時には歯科医院へ。昨日の先生がとある医療法人で院内勉強会の講師をやるというので、お付き合いである。というかプレゼンの資料は僕のPCにしか入っていないのである。午前中いっぱい、研修室でクリックし続ける。ファミレスで昼食をご馳走になった後、これ以上い続けて病原菌を撒き散らすのも考え物だ、と午後の部を辞退し、家に戻ることに。途中書店でゆっくりと立ち読み。妻子は入れ違いに八代に行って仕事するという。どっちみち家に戻っても誰もいないのだから、ふいに空いた時間を楽しもう・・・
家に戻っても一人でやることが無い。ボーっとテレビを眺めた後、近所の蕎麦屋で夕食をとり、またもコタツに潜って眠くなるのを待つ。なんだかJohnの失われた週末みたいではないか。でもなんとなく夫婦喧嘩を止めようという気にもならない。
25 朝風呂
 目が覚めたがやっぱり悪寒がする。風呂を溜めて1時間位ゆっくり入る。昼過ぎに出社。妻が仕事をしていたが何となく話が合わなくて黙々と仕事したり。妻子は熊本の自宅に戻り、僕は逆に実家に泊まる。その間今日も僕のノートPCからは何度もPaulのDriving Rainが流される。気がつけばなんだかこの作品にすっかりのめりこんでいる。このCDに出遭うために大阪ドームに行ったんではないかって思うくらいに。でも何でなんだろう?世間的な評価はそんなに良くなかったし、彼の作品にしてはたいして売れてもいないのに、何かが僕を呼び止めて放さない。
26 気を使うよりカネ使えってか
 朝からメーカーさんの営業が来られて営業とプロパーへ。その後そこのライバルメーカーの所長が来社されたので、焦って痕跡を隠してみたり(笑。小さな会社は何かと気を使うもんです。その後問屋さんの若い営業マンが来て商品紹介。若い人間がこの業界に入ってくるのは良いことである。その後、高速に乗って熊本市内の医院へ。スタディグループの例会。終了後、久しぶりに自宅へ戻る。久々に妻の顔を見たら喧嘩しているのがアホらしくなってきた。というより妻が神経質過ぎる僕に気を使ってくれていた。なんか気を使ったり使われたりする一日。
27 飲みすぎだな
 朝からメーカーさんの営業が来られてプロパーに。先週、歯科業界のあるメーカーが全国の各歯科医院に「今後は流通を大幅に変えて直接取引きます」と手紙を出したとかで、あちこち大騒ぎ。とりあえずはそのメーカーの製品を業界から締め出そう、という機運がみなぎっている。幸か不幸かうちの会社はもともとそこの製品をたいして扱っていなかったこともあり、まあどうでもよかったんだけど、あまりの騒ぎように少し滑稽になり、次に少し馬鹿馬鹿しくもなる。こんな騒ぎ、お客さんが知ったらどう思うんだろう?僕らの業界にいる限り、自民党の道路族の批判は許されないのだろうな。
 二元論が通用しなくなってきている、と思う。資本家と労働者。雇用主と従業員。生産者と消費者。供給側と需要側。医者と患者。売る人と買う人・・・僕が大学で学んだ経済学は右も左もそういった分りやすい構造をいかにして解き明かすか、という単純なものだったに違いない。しかし、現実は複雑系だ。同じ人間が時としてその一方の役割を行い、次の瞬間次の役割を始めている。時として同時に。現代に生きる者の大半は意識するしないに関わらず、きっとそうやって生活しているのだ。僕だって営業したり仕入れしたり、賞与を支給したり遊びに行ったり・・・親であり、子供であり、男であり、女・・・ではないが(笑
 新聞や日曜の朝番組を見ている時には抵抗勢力に憤慨しているというのに、こと自分たちの業界の話になると一切の変化を認めない、というのはやや情けない。しかし、そういうことを公言すると「青臭い」てなことになる。それをわかりつつ、自身の生活や組織を守る人間を、世の中は「オトナ」と呼ぶのに違いない。青臭くて悪かったなー。
 夜、同行販売を終えた若いメーカー営業マンを連れ出して安居酒屋へ飲みに行く。相変らず青臭い話を盛り上げ、久しぶりに行った二軒目でバーボンを煽り、気持ちよくなってタクシーに同乗して彼の泊まるホテルへ。そのまま実家に走ってもらう予定が、何を思いついたかそのホテルの近所に住んでいる友人夫妻に深夜にもかかわらず電話してみる。おいでおいで、との声に甘えてついついタクシーを降りて、3人でワインをガンガン飲んでしまう。なんだかとても楽しかった記憶はあるが詳細は宇宙の彼方へ。いつの日か僕が臨終を迎えるその時、こうやって酒で失った記憶が一挙に走馬灯100連発で僕を襲うのだろうか?うーん、まだ死にたくは無いもんだ。
28 二日酔いガンガン
 ワインは翌朝に作用するものらしい。子供たちの嬌声で目が覚めたのは良いが、しばらく立ち上がれないほどの二日酔い。朝食をご馳走になるも、一時間後にはエクトプラズム(しかし茶色)に変容し、洋式トイレへ吸い込まれていく。さすがに37歳にもなると、こういう場合でも完璧に方向と加速度をコントロールできるようになるものらしい。まったく周りを汚さずにことを収拾するオトナな僕。結婚前に妻の実家で壁一面を塗りたくったあの頃に獲得しておくべき技術の一つであったな。
 昼前になりようやく立ち上がり、なんとかマンションの階段を下りてタクシーを拾いに向かうが、階段をあと1段残すところで、急激に胃の内容物が幽体離脱を要求するではないか。近くの本屋のトイレに駆け込む。あ、ここ和式じゃないか、と思う余裕もなくエクトプラズムが。
 若干の飛沫を自らのズボンの一部に認めたが、まあ大惨事に至らなかったことを吉としよう。
 心配(冷笑)する社員の横顔を見ながら重役出勤をかます。しかしその後も仕事にはならず。深夜にようやく仕事する気分になるが、やっぱダメだわ、と自宅へ戻ることに。
Driving Rain  自宅でまたもDriving Rainを聞いている僕。だんだんとこの作品が僕を呼び止める理由がわかってきた。というよりそればっかり考えている気がする。頭の中で反芻されるPaul論。そう、やっぱり声なんだ。このPaulの声が僕を呼んでいる。どう贔屓目に聞いても全盛期には適わぬ音量。なんとなく弱々しく震えて聞こえるくらいだし、むしろか細く感じる曲まで見出せるくらい。時折かすれて消え入りそうになるフレーズだってある。以前だったら考えられないことだ。以前の完全主義者の彼だったら何度でも録音しなおして、最後はボツにしたかもしれない。しかし、そういう曲が今、なんだか僕を捕らえて離さない。「Johnの魂」に少し近い雰囲気すらある。AbbyroadのB面のメドレーに曲調が似ているのかもしれない。なんとなく痛々しいジャケットの写真なんかが喪失感を漂わせているのかもしれない。でも本人はいつもの笑顔で「どっかから降りてくる」曲を歌い続けているという不思議な感じ。アイルトンセナが今にも死にそうなくらいのスピードでコーナーを立ち上がってくる時に感じた鼻の奥に広がる匂いと少しだけ似ている。以前のPaulからは微塵も感じられなかった停滞や衰弱、老い、喪失などといった「キケンさ」「儚さ」を漂わせているのかもしれない。
 From a lover to a friendなんて歌詞を書いてしまう60歳。なんてアオクサイんだ。でも多くのファンは確信しているに違いない。彼が64歳になったとき、とんでもなく明るく、金字塔的な名作を発表するだろうってことを。
 それまで、彼には元気で生き続けて欲しい、と願う。80年の冬みたいな思いをするのはもう沢山だし、天才が長くやっていけるってことを彼には示してもらえれば、なんて身勝手なことも考える。
29 アポ破り二連覇
 なんだか業界が騒がしくなってきてるってことで、メールのやり取りが続く。僕はまあ比較的お気楽な立場ってことで相変らず青臭いことを書きまくる。書きながらまとまるってこともあるし。まあ社運が掛かっている人もいるんだろうけど、僕にとってはまだまだ知的ゲームの段階。これからもっと面白くなるんだろうし、そうでなければやってらんない。
 なんてことを自宅のストーブの前でやってたら会社からメール。朝一のメーカーさんとのアポイントをすっかり飛ばしてた!携帯メールで平謝り。実は先月に続いてこれで二度連続なのである。かなり怒ってるかも・・・まあ完璧に自分が悪いわけで。
 その後、市内の歯科医院を回り、修理など。夕方会社に入り、ようやく溜まった仕事を片付けに掛かる。深夜まで頑張ってしまう。ふと気付く。あ、夕方、市内の歯科医院でミーティングに参加するって言ってたっけ・・・いかん、今日は二連荘でアポ破りやってもうた・・・鬱。
30 最悪の菊地温泉物語【恐怖】
 午前中自宅で仕事した後、昼休みは歯科医院へ出向き、ちょっとした打ち合わせ。その後自宅へいったん戻る。今夜は組合関係の忘年会。菊地温泉へ行くのである。妻が近所の旦那から「いやー、菊地温泉。。。そりゃヤバイよなあ・・うんうん」と言わんでも良いアドバイスを受けてきて、疑念の目で私を見るのである。「いやそんな建設業界と一緒にしてもらっちゃ困るなあ、こちとらこう見えても医療業界の端くれ・・・・」と、これまた説得力のない言いわけをする私。
 夕方自宅を出て、菊地温泉へクルマを走らせる。ちょうど他のメンバーと同じ時刻にチェックインし、なんだか迷路のような古い廊下を引きズリ回されて和室へ通される。仲居のオバチャンがメンバーの1人の奥さんの同じ名前ということでなんだか内輪受けして盛り上る。とりあえず、ってことで風呂へ。
 さて、別室に通されていよいよ食事である。メンバーは当日欠席があり5名のみ。当初2名来るといっていたコンパニオンは先方の都合で1名になったらしい。何でも今日はこの旅館に130名もの宿泊客がひしめいていると言うのだ。なんとも景気のよろしいことで。しかし待てど暮らせどコンパニオン嬢は来ないのである。
 ズルズル、と戸が開いて、それはやって来た。思わず僕は聞いたよ。「お、お母さん、いくつ?」。それは答えた。「28・・・・・年生まれです、ぎゃはは〜」。
 なんと楽しい酒のあったことよ。遅れてきたメンバーの1人は途中で「ちょっと風呂へ」と行ったまま1時間ほど帰ってこなかった・・・「あたしもこう見えてもコンパニオン、それではここから体をはった芸をお見せ・・・」との宣告の後に、僕らは土下座して「そ、それだけはご勘弁を〜!!楽しく飲めれば僕らはそれで幸せなんです〜」と、男らしくバッサリ斬ってやったことは言うまでもないさ、フッフッフ(涙
 しかしなんだな、それでも酔いが回るとみんなして二次会へ行くという。そんなアホな。こんな夜は部屋に篭らなくてどうする?何のために部屋にテレビがついてるんだ、え?
 しかしながら僕以外のメンバーは温泉街に吸い込まれて行った。僕は先日からの飲みすぎ・睡眠不足もあり、間もなく熟睡。日付が変わる頃、どやどやとメンバーが戻ってきて、案の定えらい目にあった、とか、いや、若い子がいた、とかなんか騒いでいる。しばらくして静かになった後で目が覚めて、部屋のトイレへ。とこらが、ドアが開かない。よく見ると中で誰か寝ている。廊下には脱ぎ捨てられた浴衣が散乱している。普通そこまで飲むか!?と数日前の自分を忘れて非難する僕。蹴ろうと叫ぼうと置きようとしないので、そのまま放っておく。
 1時間後、物音で目が覚めると、トイレから男が裸で出てきて、立ちつくしている。薄暗いなか、目が合う。「あの・・・ここアンタの部屋じゃないと思うよ」・・・彼は呆然として一言もなく部屋を出て行った。う〜ん、この迷路のような旅館で彼は無事自分の部屋に戻れるのだろうか?
 案の定30分後、またもや枕元に見知らぬ裸の男が立っている。「違うよ」、そう答えてやると、霊は静かに部屋を去って行った。10分後、隣りの部屋から若い男たちの大爆笑の声が届く。そうか、無事もどれたようだな。しかし、今度はこっちが目が覚めて眠れない。畜生。
 ということで11月はなんだか妙なテンションで終わりを迎えまして。。。やっぱり今月はPaulに尽きるのではないか、と思います。素晴らしいコンサートで僕はすっかり心を入換えて純粋な人間として再生することができました、有難うBeatle!と締めたかったのだが、どうも最後がよろしくないな。いずれにしても例月に比べてなんだか異様に長い今月の日記を読破していただいたあなた、ありがとう。

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