taka's業務日誌 2001年9月
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1日
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21日
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30日
日
曜
diary
1
土
月の初めの会議
9月だ。涼しくなる気配が少しずつ近づいてきた気がする。でも熊本には秋は無い。突然冷え込んだりする。今日は朝6時に起きて今日の会議の準備。朝食を食べながら朝のテレビを見ていたら深夜の歌舞伎町で凄いことになっていた。雑居ビルでの火事。他人事にも思えないし、ついついネットで情報を追う。酷い惨事だ。
いつものように会議を進行。決算前一ヶ月。昼過ぎに終了し、しばらく残って皆で仕事していたがやはり眠くなって2時間あまり寝る。そのまま3人で実家に泊まり、だらだらと過ごす。妻は事務所で一生懸命決算処理をやっているようだ。
2
日
何もしない日曜日
ゆっくり起きて、サンデープロジェクトなんか久し振りに見ながらだらだらと過ごす。こうやって何もしない日曜日も久し振り。涼しい事務所に出て仕事したりネットしたり。夕方息子と二人で先に家に戻る。二人で晩ご飯を食べに回転寿司へ。どうして子供って回転寿司が大好きなんだろう。僕も好きだけど。焦って家に戻り、CSでF1ベルギーGPを観戦。のっけから大事故。このサーキットは以前行ったことがある。グランプリじゃなくて、ただ行っただけだけど。ここは日頃は公道として利用されているのだ。深夜、妻がようやく戻って来る。毎日深夜に帰ってくる僕を待つ妻の気持ちがちょっとわかった気がした。
3
月
NTTと契約
朝一で機械メーカーと商談。担当者が変わったそうだ。だが何の引継ぎもやっていないそうで、これまでのトラブルの数々についてまったく知らないということ。まあ、それも一つの戦略って事だろうかしらん?お昼は流通再編の真っ只中の卸さん営業と食事。先週もそういう話だったな。中高年以降には堪らん話題って事だろうか。最近ここのページも業界人に発見されつつあるみたいで、めったなことは書けません。みなさんガンバロウ。
昼過ぎにNTT西日本の女性社員(年配)が現れ、マイラインの契約を。実は3ヶ月以上前に既に判子を押す直前まで話がついていたのだが、なぜだか担当男性が突然連絡がつかなくなっていたので放っておいたのだった。その女性も「とんでもない話です」と憤慨していた。良くある話です。そんなに苛めたって事も無かったのに、何故だろう?
4
火
二人だけの取締役会議
朝から問屋さんらが相次いで訪問。そのとき取引先院長から電話で1時間ほど話す。「お前の会社のメリットなんか何も無いじゃないか」とお叱りというか激励の電話。アメリカ人に生まれたらよかった、と思う。こういう時に「我が社のメリットは〜」なんて元気よく答えるっていう文化がないのかな、僕らには。いよいよ「きっと分ってくれるよ、コツコツやっていこう」というビジネスではダメだってことに僕は気付かされると同時に何か説明できない感覚に捉われる。夕方銀次郎(ourdentコラムニスト)と連絡を取っていろいろと語る。3時間以上話していたら、なんとなく落ち着いてきた。そのまま一般道をぶっ飛ばして深夜の自宅へ。妻と二人だけの取締役会議。当面の課題は資金繰りと来期計画である。やはり最後は家族の問題となり、むしゃくしゃして深夜に酒を飲み始め、頭を冷やしに近所のグランドを1kmばかり歩き、家に帰ってまたも一人で飲みなおし、何時に寝たのか・・よく憶えていない。
5
水
こりゃまた二日酔い
ってことだ。午前中例によって吐いて過ごす。真性の馬鹿に成長したな。昼過ぎにフラフラしながら歯科医院にて打ち合わせ。その後メーカーの担当とファミレスで食事。彼が誕生日だって言うんで奢ってあげた。というかいつも奢ってるけど。その後久し振りの歯科医院を一軒訪問、奥さんと税理士さんの話題など。その後八代の会社へ移動、先日のNTTの担当女史とフリーダイヤルについて打ち合わせ。その後営業と同行販売してくれていたメーカー営業君と話し、うちの営業と未来を語っていたら深夜になってしまった。
6
木
税理士打ち合わせ
朝から薬品メーカーさんと商談。その後自宅へひた走る。午後から税理士さんと打合せなのだ。その前に蕎麦屋で食事。税理士さんと3時間あまりチェックと相談。やはり決算所の数字を前にするとみな真面目になる。あたりまえか。終了後、自宅で仕事。
7
金
大切な一日
午前中は自宅でいろいろと準備。昼休みは歯科医院でパソコンを教える。パワーポイントを教えてくれ、とのことだったが、実は僕はLotusフリーランスユーザーなのだ。でも勢いで適当に・・・その後空港に向かい、知り合いさんを迎える。その後彼らと長いミーティング。夜は組合の例会ということで食事しながら2時間。その後知人と飲みに行き、結局午前様であった。でも今日は大切な一日であった。
8
土
博多日帰り組合
昨夜も飲みすぎたな。週に二日の悪酔いはさすがにきつい。妻に送ってもらい、10時の高速バスで博多へ。バスの中で少し仕事。でも気分悪い・・午後から組合の事務所にて委員会に出席。会費を少しでも安くするために収益事業をやろう、という委員会なのだが、この会議を開催するための費用の方が利益より大きいのではないだろうか?そう提案してみたら、みなそう思っているということ・・・だったら今度からメールでやってしまいましょう、とりあえずはここにいるメンバーからっと元気よく提案して驚く。on net率は20%であった・・・大丈夫かこの業界。。
意外と早く終わったので天神のビックカメラを探索。息子用に英語学習ソフトを買ってあげた。最近暇さえあればマックを弄ってるみたいだし。天神からバスに乗ろうとして長蛇の列に驚く。どうやら福岡ドームでSMAPのコンサートってことらしかった。稲垣メンバーいないので却って希少価値ってことなんだろうか?
9
日
久々のデイキャンプ
すごく久し振りにデイキャンプ。といっても出発したのは昼の12時。近くの吉無田高原に行くことに。どたばたと適当に荷物を積み込んで1時間、高原に到着。ここは2回目だ。まずは息子とレンタルのソリで遊ぶ。ここはちゃんとしたリフトまで完備しているのだ。でも途中でビールを飲んでしまった僕は何度も上るのにすっかり疲れてしまって、結局上から見下ろしているだけ。これじゃ太るよ。台風が一度に二個も日本を取り囲んだせいか、とてつもなく蒸し暑い。知り合いの先生と会う。1時間くらい遊んだ後、テントへ。
妻が秋刀魚を料理してくれていた。ビールと秋刀魚と白ご飯。わしは満足。そのまま芝にごろり。2時間以上直射日光の下で寝ていたらすっかり顔が真っ赤に。子供とボール遊びをしたり、自転車遊びをしたり。すっかりくつろいで17時頃撤収し家に戻る。なぜか突然おなかを壊して夜はずっとトイレに篭る。ようやく波が収まったと思ったら今度は眠れなくなった。昼間あれだけねたんだもんな。結局3時過ぎまで会社の将来について考え込んでしまった。夜に真面目なことを考えるのは、きっとよくない。
10
月
暑い月曜日
朝起きたら妻が少女のように(藁)はしゃいでいる。庭に幸福の象徴の鳥がやってきている、というのだ。どうみても鶏にしか見えんのだが。
それにしても、暑い。それも蒸し暑い。会社で商談の後、いくつかパソコンで仕事を、と思ったがとにかく事務所が暑いのでノートPC抱えてエスケープ。近くのファミレスで快適に仕事。やっぱファミレスだな、仕事するなら。携帯とPCがあったら何の問題もないし、邪念から逃れてはかどる、はかどる。
夕方メーカーさんの所長と商談、その後先日の組合の議事録やらセミナーの企画やらあちこちへのメールやらとようやく涼しくなってきた事務所で仕事。でも本当はもっとやるべきことがあるような気がしてならない。でもそれから逃げるために僕は雑用に埋没しているだけかもしれないな。
11
火
歴史的テロリズムの始まり
実家に寝泊りしている毎日。今日から同行してもらうメーカー営業にあいさつ。午後にはメーカーさんが来ていろいろと商談。中国に工場を持ったためにコストがこれまでの半額になったそうだ。グローバリズムを感じる。夕方、車で先生と一緒にスタディグループの理事会に参加。先月無かったので二ヶ月ぶり。どの歯科医院も患者減で大変かと思っていたが、車中景気の良い話ばかりである。どうやら往診が成功しているらしい。理事会はいつものように進行。議事録を取ってその場でPHSで配信する。そのまま食事会へ移動。いつもの店が一杯で「新規開拓だ」とはじめてのお店に入ったが、はっきり言って失敗であった。料理は遅い、オーダー間違う・・これで一人4000円てか。憤慨して二度と来ないぞ、と皆で誓って解散。僕は一人の先生と話があったので二次会へ。
席につくなり、銀次郎から携帯が鳴る。「テレビ見ている!?」「いや、飲んでるから」「大変だよ、ニューヨークのビルにジャンボがハイジャックされて2機突っ込んで大変だ」「またまた、ネタでしょそれ」「いやいや、そう思うだろうがそうじゃないんだ!戦争だ」と大騒ぎ。急いでパソコンを取り出してCNNに繋ぐが、非常に混雑してて画像が表示されない。しかし英文を読むとどうやら本当のようだ。2chをかちゅ〜しゃであたってみたが、ここも混雑でタイトルしか表示されないが、なにやら世界戦争だの、パールハーバーなどの威勢の良い文字が並んでいる。「先生、飲んでる場合じゃないみたいです、ひとまず帰りましょう」と言ったが、「俺には関係ないぞ」の一言で乾杯。さすが大物である。時折銀次郎から「ビ、ビルが崩壊したぞ」などの報告を受けながら、しかし大切な話もあったので脳みそを二つに分けながら話す。
3次会へ移り、さらに飲み進むが、ここにもテレビは無い模様。妻に電話するが「恐い、戦争がはじまる、テレビを見るともっと恐くなるので取りあえず寝る」と・・・そこでも最終戦争状態で先生と口角泡を飛ばし、店の女性も酔っ払い始め、なんだか世紀末の様相。最後に腹減ったぞ、とお好み焼き屋に入ったらようやくテレビがあった。
繰り返し移される2機目の突入映像がまるでCGの映画のようだ。さすがに酔いが醒めてきた。これから起こりうる最悪の事態を考えながらビールを飲む。ようやく解散したのが3時半。駐車場まで歩くと3時でおしまい・・・しつこく声を掛けてくる中国人マッサージねえさんを振り切り(どうしてこれは価格が1/2じゃないのだ?)、タクシーで家へ。急いでテレビをつけると、なんだか凄い状態だ。ネットも繋げてあちこちから情報を取る。妻も起きてくるが、やはり恐い、とつぶやき寝室へ戻っていった。5時近くなって、明日も早い、とひとまずベッドにもぐる。なんてこった。
12
水
洒落にならん
7時に起きる。昨日の駐車場に車を取りに行かねばならんのだ。テレビは相変わらず世界貿易センターの崩壊シーンを繰り返している。息子もさすがに事態の異様さは理解しているようだ。僕は10歳の頃の浅間山荘事件や大洋デパート火災を明瞭に記憶している。7歳だとどうかわからんが、これから数年間は繰り返し頻繁に語られる事件であろうから、この子の将来の思想に深く沈殿する事件であることは間違いないだろう。おそらく、世界中でそうであろう。何せ、こんなにリアルなビジュアルの洪水なのだから・・・
NHKラジオをイヤフォンで聞きながらバスに乗る。9時ごろ、駐車場で車に乗り、会社へ向かう。車中のNHKラジオも事件一色である。1万人近く死んでいるのではないだろうか。会社につき、2、3社のメーカーさんと商談するもこの話題ばかりである。みな今後どうなるかわからないでいる。どうしようもないので、取りあえず目の前の小さな商談をしてみる、しかし心ここにあらず、という感じである。
世界貿易センタービルは9年前の新婚旅行で、NYトランジットの時間に夫婦で上ったことがある。見渡す限りのビル群、雲の下の自動車、小さく見える自由の女神・・そういった記憶がよみがえる。この高さから身を投げた多くの人々は地上に到達するまでかなりの時間があったはずだ。彼らは何を見たんだろうか。オフィスからちらっと外を見たら急に方向転換してこちらに向かってくるジャンボジェット機・・現代人のトラウマになる映像だろう。ユングが生きていたらそう言ったに違いない。
ネットに繋いでいろんな情報を見る。日経平均が悲劇的な値下がりだ。一方でいろんな裏情報が飛び交っている。米国自作自演説、事前情報見過ごし利用説、ミサイル防衛陰謀説・・・1万人の死亡事件で世界中のネットやマスコミは狂騒状態になっている。さて、60年前のパールハーバーや原爆投下の時代にネットがあったらどのようなことになっていただろう。おそらくはあの戦争は4年も続かず、半年程度で終わっていたのではないだろうか。今度のテロで第3次世界大戦がはじまった、と見る人たちも多い。しかし、それは無いんじゃないだろうか。あったとしても、後年、歴史家が「思えばあれが第3次世界大戦であった」と記述するような形となる気がする。すべてがものすごいスピードで進行している。かのアインシュタインの言葉だ。「第三次世界大戦はどんな武器で戦われるかわからないが、第四次世界大戦で使用される武器は石ころだろう」。流石にそこまでアホ ではあるまい、現代人は・・・
18時過ぎ、さすがに眠気に負けそうになる。実家にもどって1時間だけ寝ることにした。テレビを点けっぱなしで寝ていて、ふと気が付く。時計を見ると9時・・あれ、3時間も寝てしまった。。いや、違う、23時45分だ!いかん、今日も家に帰らんかった。
13
木
海の向こうで戦争がはじまる
朝がだいぶ涼しくなってきた。今日は事務の男が休みである。何でも名古屋に歌手のコンテストか何かで行くらしい。メーカーさんの営業が久々に来社、契約の件など。しかし、話題のほとんどはアメリカのテロのことばかりである・・・こうやって日本中、いや世界中のビジネスマンたちが目の前の仕事に手付かずになっている状態が起こっているのではないだろうか?おそらくは1999年のノストラダムスの予言の頃よりも、そういった傾向が強くなっていることだろう。湾岸戦争のときは、アメリカ国民がテレビに熱中したために生産性が落ちたという「CNNエフェクト」という言葉が流行ったらしい。2001年ではきっとインターネットエフェクト、ということなのだろうか。
午後から金融機関に顔を出した後、喫茶店で遅い昼食。夜は早めに自宅に戻る。
14
金
はやくも週末
はやい。はやすぎる。今週はほとんど何もできないまま週末を迎えてしまった気がする・・・ここのところ仕事ができない・・自分自身の問題だが。今日くらいはちゃんと仕事せねば。
朝から2時間ほど歯科医院にてセミナーの打ち合わせ。かなり前進。お昼からは先日の歯科医院でPowerPointのレクチャー2日目。お昼過ぎに終了、食事後自宅に戻る。久し振りにお昼のワイドショーを見たらどこもテロ一色である。やはりこの国のマスコミはちょっとだけ恐い気がする。あまりにも偏っているのだ。とにかく、アメリカ人可哀想、報復が始まる・・・アメリカ人カッコよい、戦争わくわくする、人が死ぬの見るの大好き・・湾岸戦争の時にあれだけ「バーチャルウォー」とか言って批判していたテレビが、どのチャンネルも一斉に、発狂状態である。軍事評論家の目は輝いている。邦人行方不明の時間には泣きたい人が回りに群がっている。半世紀前にテレビがあったら、きっと全国民は広島長崎の映像の前にアドレナリンを大量放出していたことだろう。そういうぼくも観客の一人。みんなと同じくもう一波乱あることを憂い顔して待っているのだ・・・
パレスチナやアフガンやチェチェンやアチェや東チモールやチベットや北朝鮮やユーゴのいったいどれだけの人が酷い死に方をしたか分らない。人の命はけっして平等ではないのだ。それは体重でも人権でも財布でもなく・・・視聴率によってのみ判断されるってのはどうだい??
15
土
敬老の日
朝からやはりポカン、と口をあけてニュースを追いかけている。僕らにとって世界はどん詰まりだ。これ以上悪くなることはあってもけっして良くはならない。常に情報は刺激的だが、結果としてこの20年、何も変わってなんかいない。今度こそ、本物かもしれない。今度こそ、世界が変わるのだ・・・テレビを見つめている日本中のため息が聞こえてくる気がする。皆が映像にショックを受けたふりをして、実はテロのメッセージを身体の奥底で理解しているのだ。「もうダメ、我慢の限界だ!」世界中の人々のメッセージがあのビルをぶっ壊した気がするのだ。その狂気はしばらく吹き荒れるのかもしれないぞ、どんなに事態が好転したとしても、いったん気付いてしまったこのエネルギーをどこへ持っていこうぞ。
今日は敬老の日だった。米国大統領も親を敬って同じ戦争を起こそうとしている。クロマニヨン人の時代から、人類は基本的に何も変わっていないのかもしれない。それなのに敬老って。
夕方までだらだらして、八代に家族で移動、かもなべ家と居酒屋へ行く。ここは最近できたところで、客が店内で生きた魚を釣り、それを料理してくれるっていうウリの店だ。子供たちは大喜びで1回100円の釣りを始めたが、1匹吊り上げるごとに1340円も取られるのだぞ(涙)。その後カラオケボックスで二家族で歌いまくり。僕は時節柄、RainbowのKill the Kingを熱唱してやった。そのうち捕まるな。
16
日
八代寿屋
かもなべ家で目を覚ます。そうだった、昨日は遅くまで飲んでいたんだった。午前中はサンデープロジェクトを見ながらラミーキューブに興じる。ここ数日テロ関係のテレビをずっと見続けていたら面白いことに気がついた。みんな、知ってる・・・出演者やアナウンサーたちはもうみんな気付いている・・・アメリカの一大ショーに気付いているぞ。世界同時不況だけじゃなくて世界同時布教が始まったことを・・・世界史を見れば当たり前のことじゃないか、戦争ってやりたがっているもの同士だけが始めることができるんだ。でもなぜかみな、ショーの出演者を演じて満足しているのだ。みんな悲壮な顔をして、自分に与えられた役を誰よりもうまく演じきることに一所懸命なだけだ。いったいどうしてしまったんだろう。永井豪のデビルマン実写版を見ているんだろうか。。
午後は八代寿屋に10数年ぶりに出かける。20数年前に地元の雄として大洋デパート亡き後堂々オープンしたスーパー。でも思いのほか活況でちょっと安心した。
その後会社でしばらく仕事。ネットに繋いでみると、元F1ドライバーのザナルディがドイツのCARTで両足切断の大事故だという。良くないニュースばかりだ。オーバル上でストップして後続車に300km/h以上で追突されたという。生きていた方が不思議だ。自宅に戻りパスタを食べながらイタリアGPを見る。こちらでは大きな事故は無かった。
17
月
近距離出張
朝から金融機関へ。しばらくして会社にもどりセミナー企画の仕上げ。午後からJRに乗り出張へ。知人とゆっくり未来を語る。12時過ぎにホテルに帰り、ゆっくり寝る。
18
火
移動は楽し
朝から知り合いの会社を訪問。ヒントを得た気がする。昼ご飯を食べたあと八代へ戻る。今日は夕方早めに自宅へ戻る。子供が飛びついてきた。疲れて早めに寝ていたら、大阪の知人から電話。なぜかうちの社員のメールが彼のE-mailに転送されてきたらしい。夜中に起きだして3時近くまで原因を探る。どうやらメーリングリスト設定とezwebの問題らしい。とにかくは対処。最近ウイルスとか激しいからなあ。
19
水
僕の仕事場ファミレス
朝から昨日の出張のまとめ。決算に向けて資金の調整を妻と。夕方、ファミレスで仕入先と商談したあと一人残り、遅くまで仕事する。やっぱファミレスでの仕事ははかどるわ。ネットにつなげない、というだけで邪念が減るみたい。夜は息子のおねだりで近所の焼き鳥大吉へ。僕は1年のうち100日くらい外食してると思うが、妻はそんなこと無いわけで、こういうところが贅沢、になるらしい。
20
木
決算の日
今日は決算日。といって何があるわけでもないが。朝から会社に出て、社内を見て回ったり。昼は今日もファミレスで仕事、と近所の瓦斯戸へ。だが30分で出てきた。まず近くの馬鹿夫婦の子供二人がうるさい。こいつらはどうしてこの餓鬼等を放っておくのだろう。両手に割り箸を持ってそのあたりをを走り回り、椅子の上に立って叫んでいるのだ。目が合ったらものすごい形相で睨みつけてやったが、もっ少しでぶっ飛ばすところだった。ところが、馬鹿親推定25歳夫婦ときたらまったく注意しない。そのうち日替わりランチが出てきた。しばらく食べていたが、冷たい・・・白身魚フライ・・・凍っとる。店員を呼んで交換させる。ようやく出てきた次のランチ、今度は肉が冷たい。。もういい加減嫌になって大人しく出てきてしまった。あほらし。もう二度と行かんわ。
午後からまたも社内。夕方実家でエアウォーカーに乗り汗をかいてみる。なんだか変な決算日。
21
金
決算棚卸→大阪へ
8時から棚卸。すっかり在庫もシェイプアップしているので人数が少なくても2回検品で11時には終了。この10年で確実に棚卸は楽になった。以前はこの日までに半月、終わってから半月は他の仕事を入れなかったものだけど。昼食後、自宅に戻る。息子の友達が家に遊びに来ていた。僕が小学生の頃とおんなじように名字を君付けで呼ばれているのはなんだか不思議である。妻の運転する車で荷物を持って空港へ。空港の身辺チェックは凄そうだな、と想像していたのだが、それほどでもなかった。
伊丹に到着すると雨が降っていた。相変わらず雨男だな、僕は。知人と落ち合い、新大阪までバスで移動。大混雑だ。そうか、連休だったんだな。新大阪のホテルで食事をし、新地に一軒だけ寄って中ノ島のホテルに戻る。やっぱり戦争は海の向こうの話だった。
22
土
大日本帝国は偉大なり
午前中は知り合いが部屋に来て打ち合わせ。大して広くもないシングルの部屋にいい年こいた男が二人パソコン広げてひそひそ、という姿は奇異だ。掃除のおばちゃん、すまんな。地下鉄で梅田へ移動。駅に隣接したソフマップを冷やかして時間調整したあと無料送迎バスで帝国ホテルへと向かう。こりゃ凄い立派なホテルだ。こういう高い建物を見るとどうしてもWTCに突っ込んだ飛行機の便名、Q33NYをWingdingsで表示した状態を思い出してしまっていけない。つまり、
Q33NY
ってことです(読めなかった人スミマセン)。
まずは貿易商の50周年記念式典。さすがにアメリカからの賓客は多数欠席である。2時間あまりの式典だったが、過去50年間の歩みのプレゼンが面白かった。戦後、会社を興し、アイディアが当たって(もちろん努力や涙もたくさんあったろうが)、どんどん会社が大きくなっていく時期というのはさぞ刺激的で楽しかったことだろう。
今や日本は、いやこの世界は放っておけば、このまま緩慢な死を迎えようとしているらしい。さもなくば今一度ノアの洪水を、戦後の焼け野が原を、希求するのは生物学的にも正しいことなのかも知れない。僕らの世代はそれらに抵抗する仕事か、はたまた創造的破壊の仕事か。いずれにしても焦土に人間が住める状態でないと。スポーツ紙で今日のテロの予測という活字が蔓延っている。それを気にしつつ、ホテルの23階で二次会、大阪の友人とちょっとだけ外に出て、居酒屋を冷やかして、中ノ島のホテルに戻る。
23
日
久し振りの神戸
早起きして神戸に向かう。以前からの知人と昼酒を飲むのだ。学生の頃はよく遊びに来た街だが、震災以かえってきれいになったところもあるようだ。もちろん、見えないところではまだまだ尾を引いているのだろうが。池田小学校で殺された子供と、震災で圧死した人と、昨夜交通事故で死んだ人と、アフガンでミサイルで焼かれた人と、貿易センタービルで飛び降りた人の命の値段にはいったいどれだけの差があるのか、なんて無意味なことを考えてしまう。多分、差なんてそんなにないと思うのだが、どうして報復しても良い場合とそうでない場合があるのだろうか。この街の人はその答えを持っているのだろうか。昼酒で酔っ払いながら午後の便で熊本に帰る。空港には妻子が迎えに来てくれてて、そのまま家の庭でバーベキュー。一昨日からアルコールが切れていないな。
24
月
何もない祝日
目がさめたら10時。またも12時間近く寝てしまった。休みと言っても月曜日なのでテレビをつけてもワイドショーしかやっていない。ご飯を食べたあと、息子を連れて近所を散歩。小学校の中を散策する。今日はとても暑い。僕が現役の小学校1年生だった頃から、学校の雰囲気ってのはあんまり変わらないものだなあ、と思った。
家に戻ってだらだらと過ごす。暑いし。夜は庭で妻が打ったうどん。さすがに目がさえて、ビデオ
「グリーンマイル」
上下巻を見る。。最近ハリウッドってこういうスピリッツものって好きなのかな?でもどうして神の使いのような人を癒せる黒人が、「悪い人だ」という理由だけで悪役を殺させてしまえるのだろう。アフガン報復に至る米国人の理論ここに全開だわな。
25
火
何か違う
久し振りの日常業務。請求書の整理や溜まったメールや今日の例会の資料やら何やら。夜は例会に出席。22時ごろ終了、帰宅。何だろうな、何か違うんだよな、以前と。分らないけど確実に僕の何かが違うな。タイに行ったせいかな。戦争報道のせいかな。わからないけど、何かの熱から醒めてしまったようなところが最近ある。なんだろう。
26
水
パソコンソフト
久々に車で聞くCDを選んでみる。5年前に買ったCD-ROMドライブをカーステに接続してにわかCDモードの乗車暦8年の愛車である。車の中で聴く音楽は昔からあんまり変わっていない。Psy's , Stievie R.V,RUSH , Eric Crapton , Jimi Hendrix...ここ10年以上進歩ないな。会社では来年のセミナーのDM作業など指示。銀行に顔を出した後、港の近くの球場に車を停めてパソコンで仕事。会社に戻った後、高速で武蔵ケ丘に向かい、歯科医院で院長が最近買ったというパソコンでWordの使い方を教える。Wordってつい先月初めて使ったんだけど。Lotus WordProって本当に素晴らしいソフトだってことにあらためて気付いた。AmiProはヘタレだったけど。でもLotusのアプリって絶対MSの数倍優れていると思うんだけどなあ。価格も1/5くらいなんだけど、どうしてみんなウイルスに怯えながらMSを使い続けるんだろう?そういえばデジカメの画像を弄るくらいなのにPhotoShopを違法コピーして「どうせなら本物を使わんと」と自慢してた人いたっけなあ。そんなのならFreeのソフトで軽くて使いやすいのがうじゃうじゃあるのに。ま、関係ないか。
夜は自宅でおでん。妻と焼酎を飲んでいてついソファでそのまま寝てしまったらしい。朝4時に寒さで目が醒めて、布団に入るが芯から体が冷えて眠れない。シャワーを30分くらい浴びてようやくあったまってきたら今度は目がさえて結局朝までネットしてしまった。
27
木
久々に雨模様
早起きして暇なのでワイドショーを見ていたら、NYでオノヨーコが新聞にimaginの歌詞の一面広告を掲載した、という記事が紹介されていた。John Lennonが生きていたら、今回の事件にどうコメントしたのかずっと考えていた。70年代彼は平和主義者だったけど、21世紀に生きていたら国粋主義者になっていたかもしれないし、それは誰にも分らない。でもオノヨーコの今回の行動は、ちょっとだけどイヤミだけど、でもこれ以上の演出はないだろうというくらい完璧だったと思う。さすがはハプニングの権化だ。そう冷めて見ながらも、やっぱり僕は熱くなってしまう。おそらくそういう感情を感じた人間がざっと見積もっても1億人はいたんじゃないかな、地上に。すごいことだよ。
朝から仕入先と長時間の電話での喧嘩。昨夜からずっと議論しているのだがまったく噛み合わない。つい感情的になってしまう。自分の交渉力の無さに情けなくなる。でも僕は当たり前のことを話しているだけなのに、どうして通じないのだろう。もっとオヤジにならないとね、仕事なんだからね、と思いつつやっぱ腹は立つで。
昼間に歯科医院に寄ったあと高速で会社。メーカー営業マンと新しい商品の販売方法についてディスカッション。どうしてこういうアイディアだとボウフラのように沸いて出てくるんだろう?その後彼を八代駅までダッシュで送って、遅い昼食をとる。会社では以前購入していたCD-ROM付きの経営の本に取り組んで2時間ほど集中して仕事。ふと外を見ると雨が降っている。久し振りの雨だ。明日から歯科医院の引越しで力仕事だというのに、雨。
28
金
歯科医院引越し作業
朝一で八代市内の歯科医院へ。これから引越しのお手伝いである。歯科機械から家具、熱帯魚の水槽まで・・・昼飯は営業らと浜勝で死ぬほど御替り。午後もせっせと力仕事・・ようやく終わったのは23時過ぎ、疲れ果ててバッタリ寝る。
29
土
まだまだ続くお引越し
今日も朝からお引越しである。現場の電気やら家具が予定より遅れているので肝心のこちらの取り付け作業ができないでもどかしい。時間ができたので歩いて数分のところにある高校時代の友人宅を急襲。珍しく彼もいて数年ぶりに囲炉裏を囲む。夕方まで作業。切りの良いところで解散、一般道を自宅まで戻る。さすがに疲れていたので、息子を誘って久々に温泉センターへ。ゆっくりと浸かった後、二人で蕎麦を食べに行く。小学生にもなるとちゃんとこうやって付き合えるもんだなあ。しっかり温まって早寝。明日は小学校の運動会だ・・・でも凄い雨だな。
30
日
恩師の死
案の定、朝から大雨。運動会は明日に延期となった。しかし子供は学校に行くので、11時過ぎまでゆっくり寝て、それからテレビを見たり。ずっとぐずついた天気なので、自分の部屋で、高校のときから大学くらいまで作りためておいた曲の音源をパソコンに取り込む作業を始める。テープにして20巻くらいあるのだが、いつかぐじゃぐじゃになってしまう気がして、いや、それでも良いのだがなんとなくCDとかに保存しておこう、と思っていたのだ。1986年にバイトして買ったYAMAHA CMX-1という4chマルチトラックレコーダーを引きずり出してきて、パソコンに接続し、初めて使ういろんな音関係ソフトを駆使して今風にミックスしたり、やっぱり以前のミックスに戻したり、なんて作業をやっていたらすっかり気分は学生時代に・・・
するとどうだろう、高校時代、仲の良かった女の子から数年ぶりに電話。ちょっとビックリしてどうしたんだ?ってっ聞いたら、僕らが3年間ずっと担任としてお世話になった先生の訃報だった。それも半月も前に亡くなっていたらしい。ぜんぜん知らなかった。
9月14日
に病院で亡くなられたそうだ。国語の先生で、ナツメロが大好きでいつも授業中に脱線して歌っていた。滅多に起こることが無かったけど、一度だけ何かで物凄く怒られたことがあった。オートマチックは退屈だ、と古いアコードのマニュアル車に乗っていた。受験時期には生徒の家をあちこち家庭訪問した後、「おまえんちはのんびりしていいよ」と息抜きに来られてた。
毎年クラス替えがあったのに、なぜか僕と、女子2名と男子1名の4人は偶然にもずっとその先生と同じクラスで持ち上がってしまい(途中、文系とか理系とかフラフラしたにもかかわらずだ)、卒業した後にはみんなでお酒の指導もしてもらったりした。フランクな方で、教職員住宅に卒業後クラス全員で押しかけて朝まで飲んだりもした。ところが僕が大学に行き、先生も熊本市内の高校に転勤した後、脳の病気で倒れられ、数ヶ月意識不明だった後に奇跡的に助かり、それから10余年後に僕の結婚披露宴にも来て貰ったし、幾度か飲みに行ったりしても凄く元気そうだった。
ちょうど3年前、僕が社長になったばかりの頃にその4人と先生とで久々にミニ同窓会を開き、何時間かだけ一緒に飲んだことがあったけど、その時も先生は気持ち良さそうにカラオケを歌っていた。でもあれから3年間、ずっと不義理だったな。66歳、若すぎる死だ。
その4人組の女子二人はいまや教師だ。あの穏やかな濱田先生に多くの影響を受けて、そうなったんだろう、と思う。社長という今のぼくの仕事も、若い社員にいろいろ憶えていってもらうという意味で教師的なところが沢山ある。彼に学んだことは、きっとこれから役に立っていくことなのだろう。
取りとめもなく、高校1年に録音した曲から、大学まで時間順にwavファイルに落としていった。なんだか数時間であの頃の追体験をした感じだ。そういう不思議な9月の終わりの日。今月ももう終わりだ。読んでくれて有難う。
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