taka's業務日誌 2000年11月
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30日
日
曜
diary
1
水
11月になってしまった。気がついたら来月は年末ではないか。それにしては暑いぞ。今年は本当に暑い。いったいどうなっているんだ。今朝は朝からメーカーさんと同行販売である。ちょっと気に入っている器械があるので、雨の中それを持って同行。1軒目で既に良好な感触である。ついでにこの器械のインストラクターになってもらう約束を取り付けた。その後2軒目も順調にデモ。もっと回ろうかと意気込んだがあいにくの雨でこれ以上回ると器械が壊れそうなので中止。一緒にトンカツを食べてホテルまで送って終わりにする。それから数軒を営業する。ずっと雨だった。なんだか体調がすぐれない気がする。特に右目がおかしい。ずっと景色が滲んでいる。涙目になっているのだ。きっと何か感染しているのだろう。体力がなくなるとそうなることが多い。最後の歯科医院を切り上げるともう8時だった。家に戻り、子供とお風呂に入り、本を読んでいたら眠くなってきた。週末からの出張に備えて体力を蓄えておこうと今日はおとなしく寝ることにした。
2
木
それにしても昨日から街中の車の量が半端じゃない。雨ということもあるんだろうけど、やたらと混雑している。おかげで朝はちょっと遅刻してしまった。メーカーさんが来られてちょっとした商品説明が終わると、次のメーカーが集金にくる。昼飯を食べたら次の来客者があり商談。今晩は月に一度の会議ということで会議資料をまとめなきゃいけないのにちっとも進まない。社内にいるとどうしてこうノンビリしてしまうんだろうか。本当は喫茶店かどこかでバッテリーの残りを計算しながら焦って仕事するのが一番良いのだが。
営業が一人遅れてきたおかげで会議は20時から始まり、終わったら23時であった。決算の結果発表と今期の目標について。理念ははっきりした。方針も確定している。あとは実際に数字を作っていくだけである。だから会議は厳しくなる。いつの日か報われんことを。
会議後、明日からの出張の準備を始める。終わったのは2時、それから風邪っぽい体と涙の止まらない右目を抱えて家まで走った。
3
金
9時過ぎの飛行機で東京へ。モノレールの車中やたらと携帯電話が鳴る。明日からの学会には地元から30名以上が参加するので、いろいろ僕に問い合わせてくるのだ。だいたいが「参加チケットを忘れてきたがどうしよう」というものである。困ったことだ、と思って、ふと思い出したら、自分自身も忘れてきていた。ああ、なんと言うことだろう。東京駅についてメールでしかやり取りをした事の無い業界人と待ち合わせ。彼は奥さん子供とやってきて、昼飯を食いながらしばし業界の将来について語る。3時過ぎまで話した後、今晩泊まるホテルのある日本橋まで送ってもらった。ホテルについてゆっくりしたら、昨日の睡眠不足もあって眠くなった。幸か不幸かここは東京のど真ん中にありながら携帯電話が「圏外」なのである。おかげでゆっくりと眠ることが出来た。ところがあまりにリラックスしすぎたのか、目が覚めたら18時からのパーティに間に合わない時間であった。慌ててホテルを飛び出し、電車に乗ってタクシーに乗り継ぎ、白金の中華レストランへ。30分遅れで到着すると、明日からの学会の主要メンバーが集まってわいわい大騒ぎであった。あちこちの先生方と再会を祝い、楽しいお酒を飲み、ついでに商売の話もして、23時ごろ解散。地下鉄を乗り継いでホテルへ戻る。戻る途中に「なか卯」を見つけたので、ついうどんを食べてしまった。どうして酔っ払うと腹が減るのだろうか?まさしくデブの元、であるな。
4
土
品行方正な生活を送ったせいか、朝7時には目が覚めた。朝食を取ってチェックアウトし、学会の会場であるサンケイホールへ。早すぎて受付はまだだったが、展示の準備を行う。徐々に人が集まりだす。聞けば500名を超えているという。一スタディグループの主催としては異例なことである。10時から始まり、いろいろな有名人のケースプレゼンテーションを見せてもらう。紛れも無く日本の、おそらく世界の最先端の歯科事情に触れることが出来た。休み時間はブースで説明をしたり、久々に会ったメーカーさんの以前の担当者と話したりしてすごす。
18時より帝国ホテルでパーティ。こちらも数多くの参加者だ。このホームページのおかげか、僕のことは知らなくても会社のサイトを知っている人がすごく増えている。直接今の利益には関係ないだろうけど、なんだか嬉しいことである。ひょっとしてこの日記も読まれているのかしら?
パーティは2時間で終了し、数寄屋橋のマクドナルドで時間をつぶしたあと、渋谷経由で経堂へ。本日泊めてもらうお客さんのアパートへ。6月にも一度泊めてもらったところである。先生と一緒に近くの居酒屋でちょこっとビールを飲む。なんだかこのあたりは東京という感じがしない。落着いた街だ。もしかしたら、僕の持っている東京というイメージの方が間違っているのかもしれないけど。部屋についたら奥さんが出迎えてくれてパソコンを開いたりギターを弾いたりして2時近くまで遊んだ後、布団に入って5秒で寝た(そうだ)。
5
日
7時ごろ目が覚めて、手作りのパンをいただき、小田急線で大手町へ。今日もサンケイ会館でセミナーである。アメリカはアトランタのヘンリーサローマという44歳の歯科医師の素晴らしい臨床を見せてもらった。展示の方も順調でネットの説明をするのもだんだん慣れてきた気がする。メーカーさんには不評なのに、お客さんには歓迎されているぞ。いくつか不具合を指摘されたのでさっそく改善することにした。その他の展示のメーカーさんともいろいろ話す機会があって勉強になった。いつものデンタルショーと違い、日頃目立たない企業がこういう学術の場では大きな存在感を示したりするし、その逆もある。自分の会社の方向性を確認することが出来たような気がした。ホールで話を聞いたり、展示で説明をしたりするうちに早いもので、終わりの時間になった。500人を超える大盛況のコングレスは無事終了し、外に出たらすこぶる天気の良い東京の日曜日も日が暮れていた。東京駅まで歩いて新幹線のチケットを買う。さあ、今度は京都だ。1ヶ月ぶりに古巣に帰る気分。今晩は仕事を入れていないので、旧友夫妻と会って、ゆっくりすることにしよう。新幹線の中ではさっそくHPの不具合を見直したり、セミナーのレポートを作ったりした。京都に着いてまずは地下鉄に乗って北大路へ。以前京都で働いていた時の友人宅を訪問する。彼らとは仕事のおつきあいが離れた後でもF1仲間として家族づきあいしているのだ。家を新築した、というので草加煎餅を持って遊びに行く。2時間ほどバカ話で盛り上がり、ホテルまでタクシーで。今回は親戚の家ではなくホテルフジタを予約した。ここは僕が大学を受験に京都に来た際に宿泊したホテルである。たしか親戚のコネで取ってもらった、とても立派なホテルだった記憶がある。その後大学のゼミの卒業パーティも確かここだった。ネット割引で7000円という安価な価格で泊まれる、本当に落着いたよいホテルだった。ポーターの男の子は大学の後輩だそうで、なんとなく親近感も持てたし。ゆっくりと休む。
6
月
非常によい天気だ。雨男の僕にしては本当に珍しいことである。ホテルを出てバスで京都駅へ向かう。午前中は大阪で人と会う約束をしている。携帯のメールで連絡を取りながら大阪駅よりタクシーで会社に向かう。2時間ほど会談し、食事をした後別れて梅田まで歩く。学生の頃ゼミの旅行の打ち上げでこのあたりを練り歩いたっけかなあ。相変らず狭くていかがわしい商店街を抜けて阪急32番街へ。そこから阪急で京都へ戻る。
高瀬川沿いを歩きながら以前働いていた職場に電話すると、どうぞおいでってことで歩いていく。久々に訪問していろいろと昔話やら近況やら。どうもこの日記も読まれているらしい。あまりくだらないことを書くのはよそうかなあ。その後本屋さんに寄って「アンテナ(田口ランディ)」と「じゃがたら(陣野俊史)」の2冊を買う。そのままSUBWAYに行って読み耽ってしまった。20時前に仕事の終わった皆と合流し近くの居酒屋で一杯。総勢5名となり、まったく10年前のようにあーでもない、こーでもない、と歯科業界の話に花を咲かせる。もう一軒カラオケへ。ああ、例によってべろべろ。一人になって腹が減ってきたので牛丼を食べる。いかん、まったく学生時代のノリに戻っているぞ。絶対明朝後悔するぞ。などと脳味噌の半分が言っているのだが、まあ、いいか、と携帯電話を取り出して、学生時代の友人が経営するショットバーに電話すると、とりあえず来いってんで、タクシーで下鴨神社前まで行く。懐かしい「ルシフェル」に行くとまったく変わらないヨシヤスがいて、相変らず髪の毛をツンツンしていた。しかし喋ることはなかなかまともになっており、二人して「だいたい近頃の若いやつは」などと15年前に聞けば卒倒しそうなセリフを繰り出した後、彼の車でホテルまで送ってもらった。2時半だった。 あとはどうにか寝たらしい。
7
火
一体何日間飲みっぱなしなのか判らないが、完全に気持ち悪い朝を迎えてしまった。しかし天気は最高に良い。チェックアウトして御池通を烏丸通りまで歩く。なんだかすっかり様変わりして、地下街まで出来ている。僕が京都にいた7年間、ずっとこのあたりは工事中だった記憶があるが、そうか、地下都市を作っていたわけね、と納得。
地下鉄北山駅で降りて、インストラクターの先生のオフィスへ。今回は来年のセミナーの打合せと、器材に関するいろんな質問をぶつける。数日前の発表ですっかり疲れ果てた先生を振り回してインタビューしまくる。お昼をご馳走になった後、地下鉄で京都駅、空港バスで伊丹、そしてJEXで久々に熊本空港へ帰ってくる。妻子に出迎えられて、久々に家庭に帰ってきたがしたが、ゆっくりするにも行かず、着替えて近所の歯科医院へスタディグループの理事会へ向かう。2時間あまりで終了し、さすがに食事を断って家に戻る。妻が手作りのうどんをこねた、といってもって来たが些細なことで喧嘩して、ついでにソファにどしん、と座ったらそれがぶっ壊れ(多分ここ数日食べすぎで体重が増えていたんだろう)、思いっきり雰囲気悪化で、こりゃまずい、と子供と二人で寝室で丸くなって寝た。
8
水
喉が痛い。強烈に風邪っぽい。病院へ寄ってから会社へ行こうと思っていたら、仕入先から電話があり、熊本駅前で会いたい、というので出て行く。ニューオータニでしばし商談。12時に別れて、松橋の顧客のところへ。来週のセミナーの打ち合わせなどをしていたら、もう夕方になる。その後八代の技工所に立ち寄り、会社に着いたらもう17時であった。メーカーさんと仕入商談し、ここ1週間ばかり溜まっていたメールの返事を30通くらい書きまくり、会社の上にある書類を崩して、最後に来週得意先が講演するパワーポイントの資料を3時間くらいかけて取り組んで、ああ終わらん、こりゃ徹夜じゃなあ、とふと頭をよぎるがあまりに体調が悪く、23時ごろに寝ることにした。ところが、先日買った「じゃがたら」を読み始めてしまった。一気に読んでしまう。眠気覚ましにもう一冊の「アンテナ」を手に取ったのが悪かった。気がついたら3時半であった。前回の「コンセント」より確実に進化した物語だった。前作のような稚拙な表現もすっかり無くなり、ストーリー展開も緻密になっている。村上春樹の「ノルウエーの森」のような雰囲気もする。ほとんどエヴァンゲリオンのような展開もある。精神論に傾いていく主人公に対して、必ず「まともに考えろよ」という醒めた視線が用意されているあたりもそうだ。今日はこの2冊にちょっとだけ感動してしまったよ。
9
木
さすがに朝は辛かった。だがなんとなく風邪が治りかけている気もする。気力だろうか?朝からメーカーさんが2社程来社。儲かりまへんな、という話ばかりではある。昨日からプロパーしているメーカーさんとも話す。こちらは元気、元気。彼らを送り出して、さて、ということで、そろそろ発行予定のメールニュースを執筆し始める。いつもこうやってシナリオ無しで突然初めて、そこいらじゅうに最近きたカタログ類をおっぴろげて、パソコンとにらめっこである。一体何人の人が読んでくれるかなあと思いながら。思えばこんな作業をもう8年もやっているなあ。以前はワープロの切り貼りだったけど、最近はネットメルマガだ。小学校4年生で勝手に新聞を作ってばらまいていたコドモだったから、趣味といえば趣味か。
昨日打合せをした銀次郎のコラムの入力も終わり、さてあとはいくつかセミナーの案内文を作らねば、と思ったところでエネルギーが切れて今日も実家に泊まることにした。
10
金
何か体がぶよぶよしている気がするんだが。どうも気持ち悪い。起きて事務所に出たが何かしっくりしないので、そのままふらりと近所に出て30分くらいたんぼの中を歩いてみた。ちょっと蒸し暑いくらいの妙な季節である。多分運動不足だなー、と思って小走りに歩いてみたりしたが、うまく気分転換になったみたいだ。最近風邪っぽかったり出張続きだったり、アルコール漬けだったりしてとても健康的とはいえないからな。
会社に戻ってからは見積書を書いたり、あちこち電話したり、昨日のメルマガを完成させたりする。午後から1週間ぶりに営業へ。昼飯抜きで20時過ぎくらいまで精力的に回って、久し振りに家に戻る。幸いコドモはまだ顔を覚えてくれてたみたいだ。ところが妻が買ってきたという安いラジカセを巡ってつまらない口論となり、どうも気まずい。そのうちソファで居眠りしてしまって、ふてくされて22時ごろ寝てしまう。ついに家にいると落ちつかな書くなってきたか!?
11
土
昨夜は早く寝たので目覚まし無しでも早起きするだろう、とたかをくくっていたが目覚めたら7時であった。8時発の飛行機に乗るのだ!慌てて喪服の準備をして妻のクルマに飛び乗り空港へ。幸い空港まではすぐなのでどうにか間に合った。今日は東京で業界のボスの葬儀なのである。雨男として有名な僕だが、先週、今週と見事な日本晴れである。9時半に羽田に到着。葬式は13時からなので少し時間があるので、代々木上原に開業されたお客さんのオフィスを訪ねることにしているのだ。地下鉄に乗り終点の代々木上原まで寝ぼけた顔で移動。いろいろと考え事をしていたら、到着。降りて住所を頼りに近所を歩いてみる。そのときふと思い出した。あ、喪服が無い。どうしたんだろう?そうだ、喪服はさっきの電車の網棚の上だ!あー、久し振りにやってもーた。最悪だ、今日は葬儀どうしよう、どたきゃんするか!?そう思いながらとりあえず駅へ走る。そうだ、終点だったし、まだいるかも。駅員さんに相談すると、あと2分で折り返し発車する、とのこと。大急ぎで階段を駆け上がり、ホームへ滑り込む。ああああ、という目の前でドアはゆっくりと閉まっていき、程なく列車は冷酷な音をして加速していってしまった。あーあ、とうなだれてふと横を見ると、ホームの安全確認係の左手には「洋服の青山」の幸福の呪文が刻印されているではないか。「す、すみません、それ僕んです」とか言いながら事情を話して、ようやく喪服ちゃんは主人の手元に戻ったのであった。
そういう騒ぎは僅か10分くらいの間に炸裂したわけだが、それから何事も無かったようにオフィスを訪問、見学させていただいて、ついでに喪服に着替えさせてもらって12時前に出発した。先生、いつもいつもすみません。
地下鉄を乗り継いで上野に行くつもりが、田舎もんは大手町で降りてしまった。しかも時間がほとんど無い。今日は本当に駄目な日だな、と思いつつタクシーを止めて上野まで。思ったよりもすんなり到着して無事に社葬に参列できた。やはり業界の立役者だけあって、大きな葬儀であった。中でも友人代表の弔辞が一番心に残るものだった。今僕が死んだら誰がどんなことを言ってくれるんだろう?やっぱり長く生きていかないと、そういう良い目にも会えないってことだよね、などと考える。しかしこうやって線香のにおいの中で静かに座っていると不思議な気持ちになるものだ。午前中や昨夜のことがなんだか夢の中の出来事のように思えてくる。そういえば最近ちっとも現実感が無いのじゃないか。表面だけをなぞるような生活をしているってことだろうか?自分が生きているっていう感覚が薄いような気がしてきた。だから喧嘩したり怒鳴ったり忘れ物したり。自分が生きているって事を実感するために必要なことは?やっぱり戦争か?内戦を企画した女は30年後に逮捕された。擬似戦争としての経済。ああ、音楽をやりたいな、バンドをやってでっかい音を出して確認したいことが一杯あるな、と思った。思えばもう5年ほど遠ざかっているものな。
その後上野の中華料理店に呼ばれて食事が振舞われた。久々に再会する友と会う。社葬だからそこの会社の営業の方がビールを持って回ってくる。僕はこれが今日最初の食事だから黙々と食べる。だって笑顔で応えてよいかどうかわからないんだもの。
良い天気だ。不忍池の横を駅まで歩く。10年ぶりかな、ここも。JRでホテルのある池袋へ。ネットで予約した6000円の宿だ。熊本にも同じチェーンがあるのでちょっと安心した。部屋で少し休んだ後、新宿へ。南口のあたりを一回りする。いったいこの景色のどこが不況なんだろう?人々は派手な衣装に身を包み手に手に携帯電話を握り締め、高級料理店に列を作っている。これほどまでに消費を繰り返す状況をして消費不況と呼ぶってことは、一体今までどんな消費を前提にこの国は仕組まれてきたんだろう?
仲間たちと天ぷらを食べて、その後ショットバーで話をした後解散。12時ごろホテルへ戻り、なかなか寝付けなかったが知らない間に寝ていたらしい。
12
日
7時に目が覚めたらどんよりとした天気だった。チェックアウトした後埼京線で大宮へ。北与野まで一駅戻ってさいたま新都心スーパーアリーナへ。今日は予定していた会合が延期されたため一日フリーなのだ。だから前から行きたかったJohn Lennon Musiumへ。
閑散とした住宅地を抜けると工事中の新都心とやらが見えてきた。どっかで見た風景だな、と思い出していたら、幕張の景色に似ているのだった。そう、バブルを忘れられないゼネコン屋さんが勢いで作ってしまったあの変な街。こんなところにもまだそういうのが続いているのか、と思った。アリーナに近づいてくるとバンドの音が漏れてきた。何かイベントがあってバンドも余興で出ているらしい。以前良くそういうのに出たよな。大体が警察とか自治体が主催のイベントで「若者向けにテケテケでも入れときますか」っちゅうやつだ。
出店が出ていたのでインド人の店でサモサを買って食べながら博物館へ向かう。1500円を払った後少し待たされて入場。まずは7分間の映像を見せられる。
僕は小学校6年生くらいからビートルズマニアみたいになって、ずっとエアチェックしたり友人にレコードを借りたりしてほとんど全曲をテープに収集していた。1977年くらいのことだから、もう解散して7年(今思えば7年しか経っていなかった)だったので、ちょうどリバイバルブームとかいってハリウッドボウルライブなんかが発売されたりした頃だった。そうやって精神的にも随分影響されていた高校1年の冬に突然Johnが亡くなって、1週間くらいショックでぼんやりしていたことを思い出す。その夜なんか渋谷陽一の特番を聞いた後ずっとギターで彼の曲を弾いていたっけね。久し振りにそういう気持ちを思い出した。年代を追って知っているものや初めて見るものが展示してあって、よく出来ているな、と思った。最期の部屋には真っ白なモノリスがあって、そこで彼の歌声を20分くらい聞いていたらだんだん眠くなって居眠りしてしまった。曇天の埼玉で僕は家族と離れて何をやっているんだろう。
2時間ほど博物館で過ごした後、外へ出る。バンドは盛り上がっていてパンクな連中が飛び回っていた。本当にここは首都移転をたくらんでいるんかい?って感じだな。またもさっきの出店でタンドーリチキンを買って噛み付きながらバンドを見る。寒空のビールとチキンとパンク。僕はそれから池袋に戻った。
池袋でスガシカオの新譜を買い、浜松町経由で羽田へ。高価なラーメンを食べた後熊本へ。近くの席に得意先の先生が座っていた。21時過ぎにようやく熊本へ。家に帰ると妻が風邪を移されたと言って寝るところだった。そういえば僕の風邪は完全に治っているが。それからまたもつまらない口論をしてビールを飲んで寝ることにした。
13
月
昼頃歯科医院に着いて、初めて納品する機械のセッティングと説明。2時間くらいかかる。その後明日の歯科医師会の講演会の打ち合わせなどをやり、会社へ。スタディグループの資料作り。あとでよく考えたらこれって来週が締め切りだったのに、今日までだと勘違いしていた。深夜まで掛かったのに。一日中パソコンに向かって文書を打ち出していた。目が疲れた。
14
火
たくさん見積を書いたり、広告を書いたりして午前中が終わる。営業に出かける予定がどんどん遅れてついに15時になる。なんだか最近こういうパターンだな。ばたばたと市内を回って18時半に歯科医師会館へ。今日は懇意にしている先生がここで講演するのだが、その資料を僕がパワーポイントで作って操作することになっている。実は今までほとんどのプレゼンをLotusのフリーランスでやってきたので、本格的にパワーポイントを使うのは初めてなのだ。ま、おんなじようなもんだけど。19時半からスタートして21時まで。ついでに自社のページの紹介もさせてもらった。それからメンバーで食事に誘われ、いつもの辰吉へ。今日は結婚記念日である。なんとしてでも今日中に帰らねば、と後ろ髪を引かれながら自宅へ。幸い近所の先生が「飲んでないから」と車を運転してもらった。家に着いて玄関を空けたが真っ暗だった。風邪をひいて家人は寝込んでいるらしい。
15
水
午前中は家で比較的ゆっくりする。ここのところバタバタでちっともゆっくり出来なかったので少し体を休めることにした。昼から昨日の講師の医院経由で会社へ。月曜日に作った資料の最終チェックをして郵送作業など。銀次郎とちょっと打合せをした後、熊本市内のメーカー営業所へ。社員対象の器械勉強会に出席。21時ごろ終わって家に。本当に久し振りに子供と遊んだ。
16
木
朝一で会社へ。あれだけ長く睡眠を取ったのに、まだ眠いぞ。今日から二日間、メーカーさんが同行で来られる。今日は僕と回る予定だ。業界がまだ長くないという彼と車中いろいろ話ながら熊本市内へ。木曜日ってそういえばあんまり回ったことがなかったけど、案の定休診が多くて効率が悪かった。でも良い情報提供にはなったと思う。20時ごろ会社に戻り他の営業の帰りを待つ。2130くらいに彼のホテルの近所の居酒屋で食事。1時間ほど遅れて社員となぜか他のメーカーさんの営業も合流して4人で痛飲する。気がついたら3時ごろで、さすがに飲みすぎたかな、と思いながら実家に戻る。なんか雨が降ったり晴れたりの変な天気の日だった。
17
金
朝からシャワーを浴びたが食欲が無い。完璧な二日酔いだ。午前中はなんとか事務所でメールの返事を書いたり、電話をしたりと通常の生活をしていたが、昼から自宅のトイレにこもって吐きまくっていた。トイレに赤いものが混じったので、いかん、ついに血を吐いたか!と一瞬ギョッとしたが、なんと鼻血だった。頭に血が上って血管が切れるとはこういうことか。なんとも情けないな。それからニ時間ほどベッドで休む。
夕方から仕事再開。組合の会報に「IT時代の歯科業界」とかなんとかの文を寄稿せよ、といわれてて締切日だったのを思い出しておもむろに書き付ける。ちょっとテンション上げすぎたかなあ。銀次郎がもってきた「デビルマン」の最終刊をちらっと読んでいたのが悪かったかな。21時過ぎまでなんだかんだ仕事していたがさすがにエネルギーが持たずに家へ。食事のことでまたも妻と口論となり、フテネ。
18
土
久し振りにゆっくり寝ようと思っていたのだが、普通どうり起きてしまった。自宅で溜まっていた仕事をやろうとパソコンを開けるが、調子が出ない。意外と時間が掛かってしまい、午前中が終わる頃にお得意先のお母様の訃報が飛び込んできた。事実関係を整理して案内のFAXやメールを作成して送る。まだ60歳だという。ついこの間まですごく元気だったのに。自分自身のスケジュールを調整しておき、社員たちの都合も調整してもらう。僕らが本当に苦しい時に助けてくれた先生なのだ。何もできることは無いけど、少なくともみんなで参列したい。そう思った。夕方から八代へ向かう。友人家族らと食事をして今日は八代へ泊まることに。
19
日
10時半のJRで博多へ向かう。鹿児島本線を北上してきた"特急つばめ"は満杯だ。博多駅に到着すると駅は大混雑。不況というのが嘘みたいに人々は着飾って街に消えていった。しばらく歩いてファーストフードで食事した後、今日参加するセミナーの会場へ。新しく発売された機械を使ったセミナーである。講師の先生は仙台の方だが、以前九州には来たことがありますよ、と言われていた。その時に主催した僕の友人はもう存在していない。まさか僕が彼が3年前に手がけた機械の研修会にくるなんてね、ちょっと不思議な気がした。17時まで研修会があり、その後、都ホテルへ。知人との打合せである。いろいろな情報を交換して20時ごろ特急で八代へ帰る。またも満杯である。結局熊本まで座れなかった。八代駅には妻に迎えに来てもらい、自宅で喪服に着替えて二人でお通夜の斎場へ。22時を回っていたが、参列者は絶えることなく、多くの方が故人の冥福を祈っていた。しばらく先生と話をして会場を出る。親はその死をもって子に最大の教育をするという。悲しいがそれも現実なんだなと感じた。随分がっくりされていたけど、まだお若い先生が一回り頼もしくなっていた気がしたからだ。
20
月
午前中は社内でセミナーの準備やら明日からの出張の準備やら。妻は決算の最終提出で税理士事務所へ。なんだかすごい雨だ。風も強い。かぜ、といえば最近周りの人が皆風邪をひいている。いつもだと僕も真っ先にぶっ倒れるんだが、今回はなんとなく緊張しているのか、風邪をひきかけても根性で治ってしまっているようだ。
午後、告別式へ。雨はまだ降り続いている。会場はすすり泣く声で一杯だった。なんとなく、この間読んだ本の一節で「これまでヒトは滅んだことがない」というフレーズを思い出した。体細胞は確かに滅ぶが、生殖細胞というのはずっと親から子に引き継がれてきている。その意味で、生殖細胞だけを見ればヒトは死んだことがないのだそうだ。宗教的に輪廻転生が語られるが、科学の現場でも同じような結論に達するだなんて、なんだか興味深い。
社に戻り、銀行の方と話したりしたあと、何件か得意先を回る。折からの雨で大渋滞だ。ああこの世にはなんとヒトが溢れていることだろうか。久々に早く家に戻ると、僕の遺伝子を受け継いだ息子と絵を書いたりして一緒に遊ぶ。テレビでは内閣不信任案否決でコップの水を撒いたりして深夜まで民主主義ごっこを楽しんでいた。この国の”議員”と名がつく人たちは、とにかく楽しくて仕方がないのだと思う。戦後アメリカが与えてくれた娯楽の一つなのかもしれない。儀式と出来レースとをうまく配置して僕らを楽しませようと必死になっているんだろうな。でももう飽きちゃったよ。あんまり国民を飽きさせてしまうと、そのうち戦争でも始るんじゃないだろうか。それも良くないから、僕らは違う方法を編み出す時期に来ているのかもしれない。僕の仕事している業界と同じようなもんかな。
21
火
妻に送ってもらい、7時半に空港へ。伊丹空港に着くと結構寒い。空港バスの中ではパソコンを取り出して仕事する。やっぱり移動中に電池の残りを気にしながら仕事をするのがもっとも効率が良いような気がする。京都駅から市バスに乗って四条河原町へ。京都市バスは一律220円であった。僕が大学生になって京都に来た時が確か110円だったから17年で2倍になったわけだ。バブル前だったからな。木屋町四条で大学時代のバンドの友人と再会。彼は卒業後証券会社を経て、北海道の百貨店に勤務していたが、一念発起して大学に戻って経営コンサルタントを目指しているのだという。まったく「どうしてお前が」という話ではある。親戚の料理店で彼に昼食をご馳走する。学生時代のノリで話しながらもすっかりビジネスマン同士の会話になってしまっていたな。1時間ほどして店を出る。先斗町を三条まで歩いて、古本屋に立ち寄り、その後京阪とJRとバスを乗り継いで母校の琵琶湖キャンパスへ向かう。あらら、僕の知っている大学とはまったく別の雰囲気がそこにはあってビックリした。
まるで一流大学ではないか。あの少しうらびれたような、コンプレックスの塊のような男子学生がウロウロしていた雰囲気は綺麗さっぱり消えていた。学生たちは皆賢そうで、普通の良い子達だった。キャンパス内の立看板もすっかり小さくなって驚いたことに殆どが活字で書いてあった。友人の研究室を見せてもらった後、後輩が勤務している就職科に顔を出し、その後テクノロジー・コンプレックスとかいう施設に行って、同じく勤務している同級生と話す。SRとかいう50億円もかけたという施設を見せてもらった。歯科分野への応用にも興味があるみたいだったので、いくつか話をした。なんだかこうやって大学に戻っていろんな仕事の話をするっていうのは、格好良くてよろしいなあ。
友人の下宿までパスで戻り、そこから彼が大家から借りたという車で一路、雄琴温泉へ。いや、別に遊びに行くわけではなくて、今日はここで業界の若手の集まりがあるのである。しかし、雄琴って。。。と思っていたけど目指すホテルは、いわゆるお風呂屋さんの集まる街とは国道をはさんで山の手にある立派なホテルであった。着いてすぐに温泉に入り、宴会兼会合へ。いつものようにお調子を片手にお互い熱く語らい(笑)、館内のカラオケクラブに移って喉自慢が始り、その後小料理屋さんにで鯖寿司を食べたりして部屋へ戻る。またお風呂に入り、1時ごろ寝る。断じて国道は横断しておりません!!
22
水
なぜか5時ごろ目が覚めて、本を読んだりして過ごす。6時ごろ朝風呂にはいって、7時から朝食。ゴルフ組は先に解散し、他のメンバーは帰路に着くため京都へ移動。僕は京都駅から奈良線に乗って知人宅を訪問する。突然の訪問だったがご夫婦で対応くださり、昼食までご馳走になってしまった。いろんな仕事の状況を説明してたくさんの助言を貰った。その後大阪の淀屋橋へ移動する。今日泊まるホテルの近所では出店が沢山でていて、お祭だったみたいだ。さすがはご当地、たこ焼きやお好み焼きはどれも物凄く美味そうな香をこれでもか、と発散していた。ホテルに荷物を置いて、近所で知人らと打ち合わせ。夕方になり今度は梅田に移動して、次のアポイントの方と待ち合わせ。下町の小料理屋でふぐ鍋をご馳走になる。今度はタクシーで新地に移動してスナックに入るとまあ、良くぞ集まった、というようなオールスターズで楽しく騒ぐ。その後、場を中座して近くの喫茶店で知人2名と打ち合わせ。さすがに今日はずっと朝から休み無しで人と会っていたのでちょっと疲れてしまい、12時を回った頃ホテルに戻ってぐっすり寝た。
23
木
良い天気だ。友人と一緒にセミナー会場へ向かう。大阪国際交流センターである。セミナーは盛況で150名ほどが集まっているという。展示業者を冷やかし、後ろの方で拝聴する。同時通訳だったが、うまいものだ。どうやったら聞きながら翻訳して喋れるのだろう?お昼はお弁当を頂いてしばらく喫茶店で話した後、眠い目をこすって午後の講義。終了後地下鉄を乗り継いで新大阪へ。空港バスに乗る前に本を何冊か買いこむ。空港では結構時間があったのでゆっくり読むことが出来た。
空港まで妻に迎えに来てもらい、夕食を食べたらまたも眠くなりぐっすり寝る。眠り病だな。
24
金
会社に出て、メールを50通くらい書きまくる。他にいろいろやってたら営業に出られなくなってしまった。早めに家に戻る。子供と遊んだりして明日からのキャンプ計画を立てたりして久々に家庭人になったぞ。息子と近くの公衆浴場へ。久し振りにゆっくりサウナに入った。
25
土
9時ごろ家を出発。目指すは大分県の椿が鼻キャンプ場である。妻がどうしてもアウトドアを年内にもう一回、というので以前から計画されていたのであった。妻に運転させて僕は気楽に助手席。途中で工事中のため迂回路、というので他の道を通っていたら「オートポリスはこちら」と看板があるではないか。まだ見たことのない10年前の夢の後である。これはぜひとも、と針路変更し、一路目指す。オートポリスにつくと、時折エンジン音が聞こえるくらいであとは閑散とした土曜日の山の中のサーキットであった。10年前に作られて以来、さすがに建物なども古びていて侘しい感じ満載である。
ちょうど10年前、まだ日本がバブル熱気に包まれていた頃にここに国際級サーキットが完成し、オートポリスはベネトンチームのスポンサーになったりして大いに話題が盛り上がっていた。セナが熊本下通を歩くんじゃないか、とか噂したりして。ところが首謀者は逮捕され、建設したゼネコンももはや風前の灯。地元のF1饅頭はどこへやら、である。でもつい10年前だったんだよな。よくぞこんな山の中にこんなサーキットを作ったもんだ。いつの日か宇宙戦艦ヤマトみたいにここが復活する未来が訪れるのだろうか?
その後、大分県前津江村の椿が鼻キャンプ場にようやく到着。さすがに寒そうなので、今晩はバンガローである。
山上に風力発電所があるので、その日の風速に応じて割引があるそうだ。今日は風が少ないので10%引き。 妻が夕ご飯の準備をする間、子供と模型飛行機を飛ばしたり、ローラー滑り台で遊んだりした。それからお風呂に行き、十分暖まって夕ご飯を食べる。ここのお風呂は同じチケットで何度でも入れるというので、食事後またも息子と入りに行く。まったく街灯のない夜道を歩いていると夜空に満天の星空である。オリオン座やプレアデス星団が眩しいほどであった。その後焚き火をして12時くらいまでアウトドアを満喫した。冬の野外も良いものである。
26
日
寒いに違いない、と電気毛布を持ち込んでいたんだった。電気毛布の上に寝袋を3人分転がす、というのもなんだか妙な光景である。朝ご飯をはふはふ食べて、附近を散歩するなどした後、撤収作業。
11時のチェックアウトの後、キャンプ地を出ようとするが、道に迷ってなかなか出られない。山の中でどうも同じところをぐるぐる回っている気がする。狐に化かされているのでは、などと笑う。工事中が多いのがその原因なのだけど。途中、民家の前の道路でなにやらうごめく物体が。目を凝らすと二匹の子猫が赤マムシと戦っているではないか。猫ってマムシにかまれても大丈夫なんだっけ。幸いクルマなんか通らない道だから、エンジンを切って家族全員で車内より見物モード。がんばれー、などと応援しつつ興奮して戦い見物である。最後は猫が勝ったのか、マムシをくわえてどっかへ消えていってしまった。まるでハブとマングースのような面白い見世物にみなで満足。
その後、日田市にまで出てしまい、それから阿蘇方面へ戻る。阿蘇の火口までの有料道路が無料化されていることを知り、久々に火口見物に行くことにする。火口の下の駐車場の横のレストランで遅い昼食を取る。なんだか思いっきり変わったとこだったぞ。なんというかホント、変わっているのだ。これは行ってみないとわからんだろうな。
火口に上ると、今日は風向きが良いのか、煙はすべてむこうに流されてまったく硫黄臭くなかった。妻は火口縁の物売りのオッチャンと会話してどうやら硫黄の粉を1000円分買ってきたようだ。風呂に入れる、という。大丈夫かいな。息子はどうしても温泉玉子を食べたいと珍しく駄々をこね、美味しそうに食べていた。少し混んだ帰り道の中でぐっすり居眠りをしたんだけど、家に着いたらまだまだ眠れる。
27
月
さて、今日からまた仕事だ。明日の例会の準備などに忙しい。夕方にメーカーさんらと対応し、晩御飯はそのままトンカツを食べに出る。ビールを一本飲んだら妙に眠くなり、まだまだうちの社員と打合せしているメーカーさんを尻目に「悪いけどもう寝るわ」と事務所を出る。時計を見たら深夜0時であった。別に悪びれる必要のない時間だな。いかん、異常だ。もう少し早く仕事を終える社風に変えなければ。風呂に入りテレビをつけっ放しで寝てしまった。
28
火
午前中より社内仕事。今晩の例会の準備。来週のセミナーの準備。再来週の出張の準備、などなど。最近なんだか仕事の効率悪いなあ。メーカーさんが来ていくつか打ち合わせ。昼過ぎにようやく営業に出発。数軒回った後にいったん家に戻り、その後例会の会場へ。22時過ぎに終了、家に戻って食事をしてまた眠くなってきたので、すぐに寝る。ひょっとしてこれは体調が悪いって事なのだろうか?
29
水
目が覚めきれずにぼーっとしている。10時にメーカーさんをインターまで迎えに行って同行販売する。前の会社が破産して、そこの部長まで上っていた人物が今はこうやって全国行脚して機械を売っているという。なかなかダイナミックな話ではある。何件かテスト的に取付が終わったのはもう暗くなってから。それからいったん会社へ戻る。その後八代市内へ食事へ。早めに帰るつもりがjazz喫茶に寄ったら2時半であった。あー、飲みすぎたぞ。
30
木
いかん、完全に二日酔いだ。昨夜は家に誰もいなかったので遅刻しないようにと思っていたら7時にはばっちり目が覚めた。歯を磨いていたらそのまま吐いてしまった。気持ち悪すぎる。昨日のメーカーさんは朝からスッキリ元気に登場。さすが日本経済を背負ってきた年代はデキが違うな。午前中はぼーっと雑用をこなし、ラーメンを一杯食べた後、銀次郎と打ち合わせ。今週スタートした銀次郎のアンケートは結構なアクセスである。掲示板でもなんだか変に盛り上がっているのでついつい書き込む。滅多に掲示板には書き込まないんだけど、自分が書くと気になってついつい頻繁にチェックしてしまう。面白いもんだ。
午後にいったん自宅に戻る。妻とバトンタッチしてしばらく留守番しながら会議資料などを作成。雨が降り出した。息子を迎えに行った後、一緒に街中まで大混雑する道路をドライブする。妻と落ち合って眠りこけている息子を引き渡した後、会計事務所が主催するお得意先講師のセミナーに参加。そのまま懇親会へ。最後に久し振りにTwo−Fiveに顔を出したら案の定そこいらの楽器を弾きまくってしまい、あれま3時半であった。代行運転で家に戻って寝る。妻によるとあまりのいびきに寝られなかったそうだ。中年の証ってことかな。ともあれ、今月も忙しかったのか忙しぶっていたのか知らないが、なんとか乗り切った。いろんなことを始めたので結構面白い月だったし、本当にいろんな人に出会った一ヶ月だった。20世紀も後一ヶ月。来月はもっとエキサイティングにしてやろうっと。今月も読んでくれた方、本当にありがとう。