Tomorrow Never Knows
2000年1月
2000/01/31 MON
妻から電話で起こされて、ごみを出して、シャワーを浴びて、会社へ。朝礼の後、先週金曜日に起こった得意先とのトラブルのいきさつについて軽くミーティング。少しだけ仕事を片付けて、その解決と謝罪のために高速で人吉へ向う。遅れていた正月挨拶も三軒ほどこなす。一番の得意先だと思っていた1軒に他社から高級ユニットが2台も入っていて眩暈がした。
昼過ぎに歯科医院に出向き、菓子折りを持って平謝り。もちろん、受け入れてくれる。しばらく話して、会社に戻る。卸の営業が来ていて商談というか雑談。県内のライバル業者の仕入担当者が病気で入院しているという。あまり業界で良くは言われない人だけに、ストレスが溜まっているのだろう。それにしてもどうして、うちにやってくる仕入先はこの人の悪口ばかり言うのだろう。僕は毎回「そんなこと無いと思うよ」と答えることにしている。おそらくは向こうでも僕の悪口を言っているだろうからね。
営業が帰ってきて土産話を楽しむ。一人の営業は先週東京に研修に行っていたのだ。さて、事務所はひどく冷え込んでいる。実はこれを書いている横でまだ営業がコンピュータに向って見積を打ちこんでいる。もうすぐ12時だというのに。僕の風邪はすっかり治っている。でも、先に帰らないと、こりゃ店閉まらんな、ということでこれをアップしたら強制的に締め出すこととしよう。
さて、2000年の1月ももう終わり。明日からは2月である。僕も35歳になってしまう。いつまでも蒼いことばっか書いてなくて少しは大人になろうかしら。なんてね。今月も飽きずに読んでくれた方、ありがとう。
2000/01/30 SUN
11時近くまで寝ていた。テレビを見て、妻が帰省の準備をしている間に、男どもはどっかにいっとくれ、ということになった。まずは3人で最近近くに出来たマクドナルドへ行き、それからグランメッセという展示場に行って「熊本モーターショー」とやらに息子と二人で行くことに。すごい混み様で、まるで11月の鈴鹿の様である。思いのほか狭い会場に所狭しと新車やらコンセプトカーやらレーシングカーが並んでいる。思ったよりレースクイーンが少なくて残念である。カメラ小僧はごろごろいたが。
今日は歯科医師会館で医学大会をやっている、ということもあって、やたらとお客さんと会ってお互い気まずい。お客さんとしても、ここにいてはいけない、ということなんだろう。息子はHONDAの歩行ロボットを見ることが出来て楽しそうであるが、車には思ったほど興味を示さない。彼が好きなのはあくまでミニカーと、ゲームの中のレースカーということみたいだ。その証拠にスバルのラリーのビデオを見て、「ラジコンだ」と主張していた。
帰り間際に2階でやっていたJAFの「ちびっこ免許証発行サービス」が目にとまり、子供を連れて行く。デジカメで写真を撮ってプリントし、パウチする、という他愛もない無料サービスだが、子供達は大喜びである。プリントアウトされる時間をボケ−っと待っていたら、見たような顔、いや正確に言うと、昔知っている顔を100回力石がパンチして腫上ったような顔の持ち主を見かける。高校時代に同じ弓道部だったイケダであった。同じく子連れで来ていた。聞けば近くの中学校に赴任しているという。そう言えば、こいつ高校時代はバイクの爆音だけでどこのメーカーのなんという機種かまでを当てる男だったっけ。それにしても、なんだ、この太り様は。これで中学教師、ってことは間違い無く暴力教師だな。高校時代二人で何となくむしゃくしゃして教室の椅子をばらばらにぶっ壊したことを思い出してしまった。最後はその椅子を校舎の屋上から投げて、自転車小屋の屋根を破壊したのだった。多分、今でも二人の犯行だとはばれていないだろう。そうそう、僕は日曜日に校舎の廊下を自転車で全力疾走して喜んでいたものだが、彼はある日、それを中型二輪で敢行したのだった。ひどくうるさかったぞ。
夕方妻が迎えに来て、そのまま空港へ向う。ここで妻子とはしばらくお別れである。新しく空港の3Fにできたうどん屋で晩御飯を食べて別れる。
一人で家に帰り、テレビを見たり、本を読んだりして過ごす。しばらくしたら「東京駅に着いた」と妻から電話。速いものだ。「
どんとさん死んだの知ってる?」と聞くので驚いた。昨日亡くなったそうだ。37才だった。その昔、ローザルクセンブルクやボ・ガンボスでロックファンを熱狂させた男である。ちょうど僕らが大学時代、バンド三昧の生活をしていた頃、どんとさんは拾得というライブハウスでバイトをしていた。おそろしく色が白くて、繊細そうでカッコいい男だった。何度か僕らのデモテープを渡して出演をお願いした記憶がある。急いで
Webで調べてたら、ほんの数日前まで日本でライブをしていたそうだ。ハワイには家族でバカンスに出かけて、静かに亡くなったとのこと。調べてたら10年前の昨日、じゃがたらの江戸アケミも死んでいるのだった。同じく37才だったそうだ。二人とも僕は熱狂して聞いてわけでは決してないのだが、妻の父といい、うちの営業の後輩といい、死は常に僕らの周りをうろちょろしているのだ、な。
2000/01/29 SAT
正月以来、久々にだらだらと過ごす。昼過ぎに子供と近くのグランドに散歩に出かける。芝生でソリごっこをして遊ぶ。夕方家に帰り、家族3人でコタツでボーっとしていたら、電話がなり、妻の父が亡くなったという。病気であった。実は私は彼と会ったことがない。一度会っておくべきだ、といつも思っていたのだが叶わなかった。妻の細胞の半分を与えた男はどのような男だったのだろうか。意地を張って帰らない、という妻にとにかく帰るべきだ、と言ってみる。飛行機をネットで調べると今日はちょっと間に合いそうにないので、明日日曜日に動くことにしたようだ。本来ならば私も行くべきところだが、仕事がらそうもいかず、留守番することにした。
夕方、子供のバイオリンの音合せに「県民女性センター」というところに行く。どうして女性センターはあるのに、男性センターはないのだろうか?まあ、おそらくはアメリカにはアジアセンターはあるが、白人センターってのが無いようなもんだろう。これは人口比ではない。なぜなら、男性人口より女性人口が多いからだ。ということは差別側と非差別側、ということか。しかし現実には女性が弱い存在、とはにわかに信じがたい昨今であるが。皆さんどう思われるか?
バイオリンのレッスンというものを見ていると、なるほどクラシックってのは奥が深い。正しいこと、とそうでないことが非常にはっきりしている気がする。JazzやRockだとこうは行かない。いいものと悪いものとが混沌としている。悪いものでも流行れば良いものにもなるし、その逆もある。どっちが高尚か、という問題ではない。
その後事前に調べておいた黒髪(地名)の長浜ラーメン屋へ。ちょっとイメージとは違ったぞ。その後またも「一休」に行って体を休める。息子はここが大好きのようだ。
家に戻ると、ネットをフル活用して妻の実家への戻り道を探る。どうやら明日の夕方の便で落ち着いたようだ。強がっていても、妻には堪えているような気がする。
2000/01/28 FRI
8時過ぎに起きて、今日は彼と二人で大牟田の旧営業所へと向う。ここは2年ほど前から独立採算にしているので今では会社名が違う。しかし基本的に同じ仕事をしているのでコンピュータは繋がっているのだ。今日は二人でそれぞれ、伝票システムとグループウエアのシステムチェックに行く。本当なら2時間で終わる作業が自分のスペルミスで思いのほか時間を使ってしまった。3時ごろ会社を出て、彼をJR大牟田駅まで送り、自分は八代まで走る予定だったのだが、途中のPAで眠くなって1時間ほど寝てしまったらもう6時だった。仕方ないので早めに自宅に戻ることに。食卓でいくつかの仕事をこなす。昨日より風邪の具合は良いようだ。やはり焼肉とサウナが良かったのだろう。久々に子供と遊んで、一緒に寝た。子供も心なしかはしゃいでいるみたいだ。
2000/01/27 THU
明け方結構しんどかったので、1時間ほど遅らせて出社する。会社に着くと、ネットワーク屋さんがサーバーのボードの設定をしていた。が、どうもうまく行かないようだ。また次回、ということになる。昼過ぎに大阪のSE氏が1ヶ月振りにやってくる。請求書を出した後の処理のチェックである。いろいろと質問して様々な資料を取り出す手筈を教えてもらう。夕方7時くらいまであーだこーだやっていて、それから帰ることに。熊本まで帰り、二人で近所の焼肉屋さんで食事。その後、速攻で「健軍の湯 一休」へと向う。この2連荘で風邪をやっつけようという考えである。いつもは子供が一緒なのでゆっくりサウナにはいれないのだが、今回はしっかりと汗をかくことが出来た。1時間くらいゆっくりして家に帰る。今日は彼をここに泊めることにした。子供はもう寝ていて、妻と3人でビールを出してコタツでくつろいだ。12時過ぎには心地よく寝ることが出来た。それにしてもここ2〜3日は冷え込む。
2000/01/26 WED
今日は夜にスタディグループの第1回例会である。いろいろと資料を準備し、2時ごろ会社を出る。途中、知り合いの技工所に寄って、3月のイベントの企画を話し合う。予定より早く会場に着いて準備をし、先日の火事騒ぎで人助けをした技工士さんと少し話す。定刻より例会は始まり、活発なディスカッションが10時過ぎまで続いた。それから一部の人は食事に出かけたようだが、私は風邪がひどく、咳が止まらなかったので久しぶりに家に帰った。疲れていたので、風呂に入ってすぐに寝た。熱はないのだが、ちょっとしんどい。
2000/01/25 TUE
朝一で輸入商社営業がやってきて商談など。その後すぐに天草方面へ営業同行。ちょっとした長旅となる。いろいろ話ながら未来の会社について語り合う。得意先では皆歓迎してくれて嬉しい。営業中、営業の携帯がなり、彼の幼なじみの後輩が死んだことを知る。なんと昨日新聞に出ていた、「熊本の営業マン、大分で殺される」という事件の被害者だった。22才の、それも同じ職種の男の死に胸が痛む。彼も相当ショックだったようだ。家族付き合いだったらしい。
最後に行った歯科医院で大型商談をまとめる。本当ならそこで、一杯、泊まって行くか、ということになるのだったが、友人の通夜に行かせるべきだろう、と早々と引き返す。2時間掛けて会社に戻り、彼は通夜に出かけていった。今日も会社に泊まることにする。
2000/01/24 MON
さて、遊んだような仕事したような土日の後もしっかり仕事の月曜日はやってくる。今日から久々に製薬メーカーと販促同行3日間である。朝1時間くらい話をした後に、彼らは出発し、入れ替わりに次のメーカーの方が来られて商談。自宅で昼を食べて、こまごまと仕事していたら朝のメーカーの支店長とやらが来られて、ちょいと話。
夜はそのまま自宅に泊まる。
2000/01/23 SUN
あー、よく寝た、とkamonabe邸で目が覚める。子供達は既に起きていて「ああ、たーぼーが自動的に起きてきた!」と大騒ぎである。朝ご飯を貰って、熊本市まで仕事に出かける。開業の先生との商談である。雨の中車載TVでサンデープロジェクトを見ながら走る。宮沢大蔵大臣が面白いことを言っている。21世紀型産業、か。商談を終えて、先生と営業マンは一路福岡へ向う。私は久しぶりに家に戻り、仕事したり本を読んだりと、ぼーっとした時間を楽しむ。5時に空港でkamonabe一家−ミチ様+息子と再会し、空港内を走り回って妻たちの帰りを待つ。主婦二人京都散策旅行ご一行様は無事家族と合流し、一市民へと戻られたのであった。
その後自宅に全員来て、ゲーム、お好み焼き、と即席パーティ状態となる。大人達は出来あがったばかりの
kamonabeHPに早速訪れ、それぞれの評価を楽しむのであった。
2000/01/22 SAT
やはり京都はスルドク雪が降っているらしい。妻からの電話ではミチ様も御満悦とのこと。そいつあ良かった。 朝ご飯を作ってもらって会社に行く。「じゃあ、行ってくるわ」「子供たちは見ておくからゆっくりでいいよ」などというとても男同士とは思えぬ会話を交わしてマンションから小走りに出て行く私であった。会社に着くと、今日は請求書チェックの日なのでみんな出てきている。恐ろしく寒い事務所だ。ストーブではとても追いつかない。馬鹿話をしながら午前中を過ごす。新しい伝票システムのソースを引き出して、それを表計算で読みとり、Notesに移管する、というマクロ制作作業第2段を実行する。われながら器用なことをやるもんだなあ、と感心しつつ終わる。
ラーメン食べた後kamonabe家に到着。「たあぼーお帰りい」と子供らが迎えてくれる。kamonabe氏はといえば、昨夜僕が寝た後もPCをいじっていてせっかく作ったホームページのファイルを殆ど消してしまっていたらしい。僕はといえば、こうして日記を書いている、というわけだ。
2000/01/21 FRI
妻が空港へ送ってくれという。朝9時前に空港に到着。友人ミチ様とお二人で京都旅行、である。きっと京都は雪だろうな。家に戻り、パソコンを広げて溜まっていた仕事を片付ける。誰も居ないので思った以上に仕事がはかどるかと思っていたが、実はそういうことは無いのだ。どっちかというと回りでジャンジャン電話が鳴り、どたばたと会話が続いていたほうが事務は進むものである。一人っきりだとどうしても落ち着いてしまって脳の回転が300MHzくらい落ちてしまう気がする。
新聞を広げると、すぐ近所の顧客の目の前が昨晩全焼し、スタッフが自ら火の中に飛び込んで住人を救った、という記事が載っていた。びっくりして電話するとすごい騒ぎだったらしい。急いで近火見舞いを買って掛け付けた。ちょうど2階の技工室から見える民家が見事に焼け落ちている。足の不自由なご主人はあと1分で焼け死んでいただろう、ということだった。とにかく救い出した技工士君はすごいよね、とみんなで噂。本人は今日は休んでいたようだ。
それから幼稚園で息子を拾い、一緒に会社へ向う。1時間ほど仕事をした後、ミチ様ご自宅へと息子を連行する。妻に旅立たれた悲しき男どもと合計4人の合宿生活が今日から始まるのである。kamonabe氏にカレーをいただいて、いったん事務所に戻り、10時過ぎにまた帰ってきた。飯と宿泊のお礼はkamonabe氏とミチ様のホームページ立ち上げへの協力である。ほとんど完璧に作ってあったので、掲示板などのcgi関連の実践授業を焼酎とホルモンを交えながら深夜過ぎまで行ったのであった。
2000/01/20 THU
今日は1ヶ月の売上締日である。朝礼で「数字じゃあ」と雄叫びを上げる。その後事務処理をばたばたやってたらメーカー営業君から電話があり、近くで飯を奢ることになってしまった。3時に宇土で約束があったので車を飛ばす。現金で100万円近く集金してきた。外に出ると雪がちらついている。相当に寒い日である。すっかり雪雲が空を支配しているのだ。
その後熊本市内のお客さんのところに1軒寄って久々に自宅へ。妻は明日から旅行に行くと張り切っている。息子は少し熱っぽいようなので、僕が寝かしつけることに。案の定、そのまま朝まで眠ってしまった。やはり自分のベッドは良く眠れた気がする。
2000/01/19 WED
夕べ飲み過ぎた。朝から気分が悪い。今年になってもう何度目だろうか?アル中になってしまうな。今日は営業同行で鹿児島県まで行く日である。まあ、移動時間が長い分だけ、助手席で寝ていけるだろう。と思ったら大間違いで、営業君は昨夜彼女と電話で話しこんだらしく、ほとんど目が潰れた状態で信号待ちのたびに起こさなければいけないという状況であった。これではおちお寝ていられない。命にかかわるのだ。てなわけで運転を変わり社長自ら国道3号線を南下するハンドルを握り締めるのであった。まあ、吐く寸前だったから運転して他方が楽だったけど。それにしてもどんな会社なんだ。
行く先々で風邪を引いている人が多くて、確かに気温も鋭く寒く、これは南国気分どころでは無いのであった。
帰り道はようやく気分も戻ってきて、車中パソコンでメール書いたり、仕事したり、であった。会社に着いてからは、明日発送のダイレクトメールの作成など。疲れたのでまたも実家に泊まることにした。これで3日連続であるな。
2000/01/18 TUE
結局昨夜も家に帰らず実家に泊まってしまった。さて、朝からは先日ぶっ壊れたPCサーバーの修理が完了したとのことで入替作業である。幸いサードパーティ製の部品が悪くなっていただけ、とかでそれを外せば元通り起動したらしい。というわけで懸念されていた修理代は不要となった。
1時間以上設定を行った後、車に飛び乗り、熊本市へ。営業所が手掛けた歯科医院の開業の挨拶である。幸い多くの患者さんが来られていた。院長室にて旧知の技工士さんといろいろ話す。お昼は院長のお母様にお寿司を取ってもらい、がやがや食べる。すっかり満腹になって、1軒だけ寄った後に、自宅に戻る。子供と久しぶりに話をしたりしつつ、妻のPCの設定をサーバーの設定に戻すために少しいじったりする。
夕方自宅を出発し、また会社へ。途中あまりに眠くなって、30分くらい車を止めて寝る。会社に着くと、今日は商品勉強会である。大阪時代仲良くしていた営業マンが久しぶりに会社にきていろいろな商品の勉強をする。夜9時過ぎに終了して、彼とうちの若い営業マンと3人で八代の街に繰り出すことに。居酒屋「才谷屋」にて2時まで焼酎を1升半も空けてしまう。タクシーで実家に戻り、すかさず寝る。これで3日連続であるな。
2000/01/17 MON
例によって息子と妻は朝から喧嘩状態。寝起きが悪いのは両親ともだから、遺伝しても文句は言えないがな。あんまりうるさいので息子の機嫌を取ってやっていると、なんでオレは朝から晩まで人の機嫌を伺わねばならんのだ?と急に腹立たしくなり、「はよせんか!」と怒鳴ってしまった。30年前に理不尽な怒られ方をされていたく傷ついていたのは、こういうことだったのか。さもありなん。会社ではなんやかんやと起こる。電気の調子が悪いので九電に電話してきてもらう。営業車の車検が上がって受け取る。先日の仕入れた商品を表計算でまとめて資金繰りを考えて、その上で今月のセールを組む。友人からお正月のパーティの写真がメールされたのでWebに公開する。遅く帰ってきた営業マンと話し込む。まだ帰ってこない営業マンから電話があって直帰する、という。もう11時になるので実家に泊まろうと思うが両親が二人とも熱を出しているという。さあて、どうしようかな。明日の夜もまたアルコールだ、ええい、いっそのこと飲みに行くか!?
2000/01/16 SUN
今日も朝からホテルにお迎えである。午前中は診療室にて実習のお手伝いである。お昼は一緒にちかくのうどん屋で。たわいもない会話の中でCMの「まじですか?」が大流行りとなる。
午後は熊本駅まで先生をお送りして、2月の島での再会を約束して別れる。僕はこの瞬間が結構好きだ。セミナーを終えて、講師を送って別れた後に、訪れる安堵感と成功の喜びと、そして一人になったという適度な孤独感。バンドをやっていた頃のライブの後の打ち上げの帰り道の感覚。スポーツやってた頃の試合の後、駅で皆と別れて一人で自転車を漕いでいるときの感覚。今回の仕事は完全なボランティアで何の利益も出なかったけど、これが楽しみでやっているのかもしれない。
家に帰ると妻が一人でテレビを見ていて、息子は隣に遊びに行っていた。バリ島の番組である。海外もそろそろ良いかもしれないな。
息子と久しぶりにゲームなんかして一緒に風呂に入って、鍋をつついて、ビールを1缶明けたら完璧に睡魔に襲われた。息子が本を読んでいる声でぐっすりと寝てしまった。
2000/01/15 SAT
8時にホテルに迎えに行くことにしていたのだが、朝から超気分が悪い。やはり馬肉だ。それに二日連続で飲みすぎだし。ぼろぼろの頭でお迎えに。それから午前中は歯科医院でのセミナーに付合う。真っ暗な研修室でひたすらスライドを進める。気分が悪いのだが、話が面白いので何とか精神力で維持していた。
お昼はいったん家に戻る。そうしたら急に気分が悪くなって、これ以上でない、というくらい吐いてしまった。シャワーを浴びて、うどんを作ってもらい、少しだけ食べてみたら、ちょっと良くなった。
午後からは他の歯科医院でレントゲンの取付である。時間通りに行くとまだ下準備が終わっていない、ということでしばらく車の中で寝ることが出来た。
3時間ほどで取付も終わり、また研修室へ戻る。今日も他の先生と一緒に食事に出かけることに。僕の運転する車で街中へ向かう。土曜日のせいか、やはり車が多めである。いつもの寿司屋が満杯なので他の店へ行く。さすがに今日はビールが進まない。しめさばが美味しかった。その後、本当に1年ぶりくらいにとあるクラブへ向かう。以前は良く先生方と一緒に通ったものだが、ここ数年は辞退するばっかりだったからだ。来てみたら、ほとんど昔と女性の顔ぶれが変わっていない。ここは終身雇用制なのだろうか?以前より客足が増えているようなので、どうして?ときいたら値下げしたから、だそうだ。終身雇用でかつ値下げってことは理にかなっているような、そうでないような。
11時ごろ店を出ると先生をホテルに送って家にまっすぐ帰った。2次会の支払いを終えた時点で見事な無一文となっていたので、家に着いたら妻を電話で起こして、代行料金を払ってもらった。コタツに入ってボーっとしていると、妻がいろいろと相談事を始める。仕事に関して僕は分析魔である。ありとあらゆる可能性を考えて行動しないと気が済まない性質である。ところが実際に行動に移せるのは、考えたことの100分の一くらいでしかない。それよりも、何も考えずに直感で行動できる奴の方が結果的には成功を手にしているような気がする。だがしかし、僕はそういうアプローチでしか仕事が出来ないでいる。でも仕事以外のことについては、できるだけ分析せずに自然体でやりたいな、と思う。だが、妻とはちょうどこれらが正反対のようだ。酔って疲れていたのでついぞんざいに「考え過ぎだよ」と答えてしまった。これでますます評価落としたなあ。
2000/01/14 FRI
目が覚めたら完全な二日酔いだった。自分一人で潰れるのも、当たり前だが今年初めてである。これを最後としよう。
朝から今度はもう1社の蚤の市商談である。調子の良い営業マンと数字とにらめっこしていたがだんだん眠くなるのだ。商談は午前中でようやく終わり、一緒に昼ご飯を食べに行く。オムライスの大盛り。塩辛い。突然得意先のスタッフから携帯が鳴り、私個人に対するクレームの嵐。半分誤解だと判ってくれたみたいだが、それでも気は滅入るよね。それからもやたらと雑用が入ってなかなか机の前を離れることが出来ない。うだつのあがらないメーカーの営業がやってきて、ほいほいと話を聞いたフリをして流す。ようやく5時に高速に飛び乗って熊本へ向かうことが出来た。今日から甑島の先生がやってくるのだ。
まずはさっきのクレームに対して謝っておく作業。次にようやく甑島の先生に会うことができた。彼と会うとほっとする。なぜだろう。9時前に焼肉屋に食事に行く。たいそう豪華な馬肉をたべさせてくれる店である。ところが体質なのか、必ず僕はここで食べると後で吐いてしまう。結局ビールばかり飲んで過ごす。その後、先生と二人でいつものTwo-Fiveへ。先生もすっごいミュージシャンなのだ。結局10時〜朝の2時までそこにいてベースやらギターやらずっと弾いていた。ちょっと飲みすぎてしまったかなあ。反省。
2000/01/13 THU
よく寝たので目覚めも良かった気がする。八代市内を2軒ほど挨拶に回る。メーカーさんの社長がみえて粋がって商談。銀行さんと決算書を眺めながらお話。あと2社ほど次々に仕入先が来社されて商談やら雑談やら。夕方に本日のメイン商談を行う。毎年この時期になると大きな仕入を行うのだ。だが、このようなことをする意味があるのだろうか?九州中の業者に対して「蚤の市」とか言って自社製品を年に一度の安売りをする。我々はそれに群がる。でないとその後始まる安売り合戦に参戦できないのだ。毎年年末になると、「来年は馬鹿馬鹿しいから参戦しないさ」と考えるのだが、新年明けてみると、「そうなると顧客の評価を失い一気に売上ダウンするのではないか」という恐怖心がよぎる。そうして武器輸出国が戦争している両方の国にミサイルを輸出するがごとく、この業界の年は明けて行くのだ。なんだかんだで昨年の半額くらいは仕入れる。夜もふけたので高速を飛ばして家に帰る。
家に帰っても何だか釈然としない思いは続く。妻と子供は速攻で寝てしまったので、一人の時間を楽しむこととする。中島らもの本を手に取り、焼酎をストレートで流しこんでいたら、2時になっていた。アル中の話を読みながら、アルコールに溺れるのはなかなかどうして自虐的で楽しいものである。
2000/01/12 WED
結局朝まで起きていた。さすがに今日は眠かった。サーバーを修理に出しているところのSE氏がやってきて代替機の通信関係のチェック。どうもうまくいかない。昼過ぎに会社をでて熊本市内を数軒回る。車が多く混んでいる。今日の夜のスタディグループの理事会の資料をまとめるために、いったん家に帰る。ざざっと資料を作って、7時半から理事会に出席。議事録をまとめたり、会計報告をしたり。夜は皆で食事に出たようだが、さすがに眠くて仕方がないのでまっすぐ家に帰る。10時前に帰ったのだが、さすがに風呂から上がると同時に寝てしまった。20時間起きていたことになるな。
2000/01/11 TUE
なんだか久しぶりに会社。殺到する雑用を片付けていたら昼を過ぎてしまった。今日から挨拶回りに出る予定だったのに、まずいな。今日訪問する予定だった大御所歯科医院へ電話すると、昼食時だったらしく、院長はもぐもぐ飯を食いながら「おまえは挨拶にこんからどーたらこーたら」と言いはじめる。なんでも同業者の大社長様は5日の日に詣でたらしい。「気持ちの問題だ」だとかなんとか仰る。いつもだと「すみません、勉強不足でした、善処します」と言うところだが、最近機嫌の悪い僕は「オウ」的な態度で答えてしまった。商売人失格だなあ。
2軒ほど挨拶と仕事に行って、夕方そこの歯科医院へ行く。あえて元気良く「おっそくなりましたー」などと声を張り上げる自分がアホのようである。
その後先日福岡ですっぽかしたメーカーさんの営業所へ行ってお詫びがてら商談。相手がみょうにそわそわしているので「どう、これからお詫びがてら食事でも?」と聞いてみたら、なんとこれからどこぞのオミズと同伴出勤でらっしゃるとか。カッテニシロ。
9時ごろ家に帰って子供と風呂に入り、おでんをつつく。今日は子供が一人で寝る、と張りきって寝室に上がっていったのだが、5分後べそをかいて降りてきた。「さびしくて」という。仕方がないから一緒に寝付かせにいく。「だってね、まだ慣れていないんだよ」と言う息子とまったく同じせりふを自分も5歳のときに親に言った記憶が蘇ってくるから不思議なものだ。子供が「お話をしてあげる」といって桃太郎やら、ブレーメンの音楽隊やらの話をカンペキにしてくれていたら、自分のほうが先に寝てしまっていた。ふと目を覚ますと1時であった。それからなんだか目がさえてしまい、インターネットしたり、この日記を書いたりしている。もう5時半だというのに。
2000/01/10 MON
連休である。今日はよい天気だ。息子と散歩に出かける。途中、グラウンドを歩いていたら3人の同年代の子供たちと出会い、一緒になって遊ぶ。初めてにしては仲良くなるもんである。5歳位というと男も女もシモネタ単語羅列大会で聞いていて可笑しくなってしまう。おばあちゃんがやってくるまで1時間くらい遊んでいた。家に帰って蕎麦を食べる。また本を読み出す。一度読み出すとなかなか止まらないのだ。そういえば昨日の夜などはライオンがでてくる夢を見た。筒井の本を読むと、いつも内容の断片が夢に出てくる。彼が夢をモチーフとした設定の小説をよく書くせいなのかもしれない。
夕方妻と会社のことで喧嘩してしまい、落ち込む。自分にはやはり才能がない、おまけにやる気もない、という気分になる。「仕事に対して冷酷過ぎる、仲間をなくすよ」と言われてしまった。何がパートナーづくりだ、と自分でも思う。一番不得意な分野を会社の目標に立てていたに過ぎなかったんだ。誰かの一言ですぐ落ち込んだりすることがだめなんだよな、でもそれ以上に僕はいろんな一言を誰から構わず投げてきたんだから、それも仕方あるまい。
2000/01/09 SUN
起きたら、雨。サンデープロジェクトつまんねえな、とか思いつつだらだら過ごす。最近買っていた文庫本が大量にあるのでそれらを読むことにする。宝島の「隣のサイコさん」これは結構面白かった。アル中のページを読んで少し反省する。筒井康隆の「ジャズ小説」では久々に彼の文体に酔うことが出来た。思えば中学時代から彼のファンだった。最近はちょっと難しすぎて離れていたけど、この本はなんだか良かった。その勢いで「パブリカ」にも手を出してみる。久しぶりに読書三昧のコタツ日和であった。これも雨のおかげだ。
息子が退屈しているので、ひらがなの書き順を教えることにした。文字そのものは勝手に憶えていたようだが、書き順がめちゃくちゃなので教えてあげるのだ。ところが、「や」の字を自分が忘れていて、大変焦った。いかに文字を書いていないか、思い知らされる。
子供はすごいね、あっというまに50文字書けるようになってしまった。明日はカタカナだよね、といって今日は終わり。
夜にはテレビで恐竜のCGを扱った番組があったので皆でそれを見た。
2000/01/08 SAT
朝5時に起きて、今日の会議の準備をする。結局昨日はなんだかんだエキサイトして帰って仕事が出来なかったのだ。いつもより早めに家を出て会社に入り、数字を見ながら資料を作成する。9時には何とか出来あがったので、そこから2000年代初めの会議をスタート。今年のテーマである「パートナーづくり」について話をする。その後例によって数字。若いやつの数字に対する取り組みが余りに甘いので新年早々声を荒げてしまう。まあ、以前はこれが年長者に対して言わねばならなかったので辛かったけど、最近はこっちのほうが気楽でよいかな、と考えることにする。勉強会まで一気に4時間、なんとか終了。それから飯を食った後、家に急いで帰る。
今日は夕方から自宅に社員を招いての新年会なのだ。途中、京都の「泉門天」という餃子屋さんに頼んでおいた150個の餃子をトラックターミナルで受け取り、回転寿司で持ち帰りの寿司を選び、スーパーでいくつか買いものをして備えていたら、若者がぞろぞろやってきた。
皆でビールを開けながらコタツを囲んで乾杯。なにやら学生のホームパーティのようである。実際一番年上が34歳の僕で、年下は(5歳の息子を除くと)、明日成人式というメンバーなのだから。DDRのシートを広げて大騒ぎとなる。息子も嬉しそうだ。9時ごろ皆をタクシーに乗せて駅まで返す。自分も風呂に入ったら昨日の睡眠不足もあってすぐに寝てしまった。
2000/01/07 FRI
朝9時にメーカー営業マンが車で自宅にやってきて、そのまま拉致監禁された。今日は福岡の彼らの営業所で「蚤の市」と称する新年セールなのだ。先日痛飲した同業者も途中で拾って高速で博多へ。会場へつくと支店長以下部長などが一升瓶を抱えて近づいてきた。朝から酒盛りなのである。一杯酒を飲ませて、たくさん買わせようという魂胆なのだろうが、ふふん、おいらにその戦略は通用しないぜ。毎年飲み過ぎて足元はふらつき目はうつろになって何も商談せずにその場を去って行くのだから。
九州各地から同業者が現れ、商談したり、挨拶したりしている。熊本から来た僕らはただひたすら座って飲みつづけ、しゃべっているだけである。11時から、17時まで、6時間。実はもう1社同様の企画をしているライバル会社へ行く約束をしていたのだが、この状態で行っても仕方がないと思い電話で失礼する。支店長らを捕まえて近くの居酒屋へ移動。良く考えたらこの支店長と酒を飲むのは10数年振りである。しかし、あまりに金にせこいので、もう2度と飲まないぜ、という判決を下す。中州に移動した後、また博多駅に戻ってJRで熊本まで帰る。
熊本駅から水前寺駅まで乗ったのだが、降りるときにワンマン車掌に「220円足りません」と宣告される。あれ、熊本市内行きのチケットを買ったつもりだったんだけどな、と思いながら、財布を捜したらあいにく1万円札1枚しかなかったので、それを渡すと「両替は1000円までと書いてあるでしょう」と。じゃあ、どうすればよいの?と聞けば、「その1万円で払ってもらって後日お釣りを取りに来てください」などという。それじゃ、タクシー乗れないよ、歩いて帰れっての?と少しむっとして聞いたら「家の人に払ってもらってください」とか言った時点で酔っ払いオヤジの俺は完全にぶちきれた。わかったよ、クレジットカードで払うから220円決済しろ、と迫ると、「みどりの窓口でしかできません、もう閉まっていますね」と敵も戦闘モード開始である。既に他に誰もいなくなったホームでの戦いである。ここは終点なのだ。(クソ、走って逃げたろか)とも内心考えたが、いやいかん、俺は社長だった、と思いなおす。最後は車掌が「運転免許を控えさせてください、1週間以内に必ず払いに来てもらえますか」とこちらを犯罪者扱いしてきたので、危うく線路の上に小石並べ始めるところだったが、ぐっとこらえて従うことにした。悔し涙でホームを出ると、何とそこにはその駅が経営している24時間のコンビニがあるではないか。ためしに1万円札を出すと、快く両替してくれた。だったらなんで最初からここを案内しないのだ!
あったまきて駅員室に220円握り締め、たまたまそこにいたおっさんにぶちまけると「いやー、もう私勤務時間終わってるんですけどねえ」などとほざくではないか。頭に血が上って思わず適当な大きさの小石がないかあたりを見まわしてしまったではないか。最後はそのおっさんが、まだ車内に残っていたさっきの車掌に話をつけて、「すみませーん、払っておきましたからー」というので解決したようだ。
それにしてもJR、君らは本当に民間業者か?年に一度くらい、代行運転のバイトでもやってみろってんだ、まったく。おまえにことだよ、佐田君!
2000/01/06 THU
吐きながら起きだして、11時のメーカーさんアポに間に合う。今年の会社の方針を伝えて協力をお願いする。今年は「パートナーづくり」というテーマでもって動く予定だ。厳選されたパートナーとだけ、一生懸命動き回るつもりだ。それ以外の仕事は、原則断る。それくらいの気持ちで利益をあげていくしかないのだから。昼飯を食べた後、3社ほどメーカーさん来社。昨日痛飲した同業者のところに先に行った人が多かったようだが、やはり皆今日は潰れていたそうだ。そいういう私も昼過ぎまで吐いていた。
夕方になって、最近サーバーに電話回線で入れない、というクレームに対処しようと、サーバーを再起動したら、それっきり動かなくなってしまって焦る。購入業者に連絡したら「メインボードがいかれたかもしれませんね」とのこと。さっそく代替機を手配してもらうことに。それにしても数日前にY2Kに対処したばかりだったのに。21時過ぎに来てくれた彼のの作業を、たまたま来たメーカーさんとコンビニおにぎりを食べながら眺める。3年前にいれたサーバよりも段違いに速くて静かなマシンである。NTもアップグレードし、Notesデータも自分のレプリカから再生できたのですっかり満足した頃にはもう1時過ぎていた。修理代は10万くらい、新しく買うなら40万くらい、と宣告される。年末に基幹システムを入れ替えたばかりなのに、あまりに辛いのである。が、ここでLANを捨てるというわけにもいくまい。とりあえず見積だけ出してもらうことにする。
12時過ぎに営業が一人帰ってきて2時まで仕事した。新年早々、こんなことじゃ、イカンのだがなア。
2000/01/05 WED
さあて、仕事始め。妻と息子と3人で会社へ向かう。あいかわらずの雰囲気で社員が集まってくる。気合を入れていこうぜ、と訓示したつもりだが、この俺に「気合い」という単語ほど合わぬものもあるまい。社員は自分自身の鏡なのであるな。会社の中の整理をやっと終了させる。
近くの銀行の支店長さん、いくつかのメーカーさんなどが来られる。先週会ったばかりなのに、新年、という挨拶もなんだかな。
昼過ぎに来たメーカーさんと話しをしていたら今日の4時から熊本市内で組合のパーティがあったことを急に思い出した。彼らの営業車で送ってもらうことに。少し遅れて会場に入ると早速県知事や市長が政治演説をぶっていた。この会は「規制緩和はもってのほか」という趣旨である。政治家はTPOに合わせてその主張を変えねばならぬようだ。ごくろうである。
その後歯科関係者だけで、二次会へと流れる。良く行く料理屋さんでワインを6人で8本くらいあける。我々の業界の「ドン」な方が「ワインはシャブリでないとイカン」と仰せになり、大将は数回酒屋へ足を運ぶことに。ドン様はたいそうご機嫌であったが、後で聞いたら2本目以降は普通の白ワインを出していたそうな。やはり一流になるのは難しいのだぞ。しこたま酔っ払う。
その後若手で3軒ほど回って気がついたら2時である。あらら、10時間も飲んでいたことになる。さすがに皆べろべろである。この業界の誰もがいよいよケツに火がついているので皆酒量が増えているのではなかろうか?ま、人のことはいえんけど。
2000/01/04 TUE
今日でお正月休みも終わりである。息子を映画にでも連れて行こうってことになり、バスで市内へ移動し、「こち亀The Movie」を見る。3人で4,100円。おいそれとは映画で失敗できないな、こりゃ。しかし、予想に半して結構楽しめた。あの漫画での両さんのアバンギャルドさが消えていたのは少し残念だった。子供もそれなりに楽しんでいたようである。もっとも子供は一緒にいた親の反応を見ているものだが。家に帰ってつつましく御節の整理をして、早めに寝る。以前までは正月といえばひたすら昼夜逆転の歴史であったが、最近ではすっかりまともな時間に寝るようになってしまった。年を取ったせいであろうか?それとも子供がいるからか?しかし真実は「テレビがつまらん」というあたりにあるような気がする。
2000/01/03 MON
実家で目覚めた後、事務所に行って年末の後片付けの続きをする。NTサーバーを立ち上げたら、しっかり1900年1月1日であった。マイクロソフトからサービスパックを1時間余りダウンロードして無事解決。その他Y2Kの問題はなさそうだ。Notesのアプリケーションでビューの表示が一部おかしかったので修正したりする。といってもたいしたことのない範囲だが。
夕方過ぎからぼちぼち帰る。さほど道も混んでいないようだ。なんだかのんびりした正月である。いつか、21世紀も当たり前になって、息子が中学生くらいになって、「2000年のお正月ってきっと盛り上がったんだろうな」などと回想することがあるだろうか?自分自身も小学生の頃、ノストラダムスやら日本沈没が流行した際、「2000年は来るのだろうか、そのときは34歳か、もうじいさんだな」とか考えていた。
しかし、実際にはこうやって退屈なくらい時間が流れて行くのだ。キリストが生れた時だって、大化の改新の時だって、明治維新の時だって、悲惨といわれた太平洋戦争の時だって、一般大衆には同じような時間が流れていたに過ぎないのかもしれない。産業革命以来の大変革の時期にあるだなんて本に書いてあるけど、それは後になってそう思うだけのことなんだろうな。
2000/01/02 SUN
10時ごろ起き出す。今日は12時から八代の友人宅で新年会である。車に乗って3人で八代へ。少し遅れて会場に着くと、多くの子供がいたので急遽息子も参加、ということに。すっかり友達になってしまってそこいらじゅう走り回っていた。今回のホストは中学高校時代の友人なのだが、集まった人たちはあまり親交の厚い人たちという訳でもなかったので、楽しい出合いであった。
何と彼の家には囲炉裏部屋があり、夜からはそこへ移って鮎の塩焼きに舌鼓を打ちつつ、馬鹿話に話を咲かせた。そのころ妻も参加してきて、輪を掛けて馬鹿話を始めている。まったくこう言うときの妻はとにかく場を仕切りまくるのである。知らない人たちはさぞ圧倒されたことであろう。その勢いで僕らはバーkamomeと移動し、そこいら中同窓会だらけで人だかりのするカウンターを掻き分けてさらに馬鹿話を続ける。まだまだ勢いの止まらないわしらはカラオケボックスへと突入、その時点で12時を過ぎていたにもかかわらず、「3時間お願いします」とつい言ってしまい、怒涛の赤面歌合戦が繰り広げられたのであった。和服を着込んできた妻は美空ひばりかはたまた場末のチーママかといった風情でもう誰も止めることは出来なかったようである。そういう僕もQueennから始まってPurple、ZEPと歌いまくり、のどがガラガラとなって家に着いたのはもう4時を過ぎていたのであった。新年早々馬鹿をやってしまった。まあいいか。
2000/01/01 SAT
いやあ、2000年である。暖かい正月となった。9時ごろに目が覚めて、新聞と年賀状を読んでいると家族らも起きてきて、御屠蘇気分で盛り上がる。
きょうはゆっくりとお正月である。メールをチェックしたりしつつY2K問題が何もないことを確認して朝からビール。お昼過ぎに初詣に行こう、ということになり、健軍神社まで3kmほど3人で歩く。
本当に暖かい。セーターを脱いだほどだ。以前、健軍神社の近くに住んでいたことがある。2年ほど前のことだ。空き地だったところに家が建っていたりして、少しは変わっていたがちょっと懐かしかった。神社に裏口から入ると、大勢の人だかり。おみくじを引いたら大吉だった。これで今年は貰ったも同然さ!
出店で唐揚げを買って食べながら歩く。近くの本屋に行く。珍しく子供が電車の本を欲しがる。そういえば健軍に住んでいた頃、彼は電車オタクだったのだ。健軍にきたらそういう血が騒いだのだろうか?帰りはさすがに疲れたのでタクシーに乗って帰る。1000円の今年初めの贅沢だった。
家に帰るとお正月の馬鹿番組を見ながらくつろぐ。出店のくじ引きで息子がもらった6等の貯金箱が柱に飾られ、カルタ大会に燃え、ババ抜きで風呂掃除当番を決め、ガブガブビールを飲んで楽しく過ごした。家で過ごすお正月も良いものである。